前作「イコライザー」から4年。
ついにあの”マッコール”が帰ってきた。
公開初日に観に行った「イコライザー2」。
元CIAの凄腕エージェントが自腹で悪を裁いていくアメリカ版「ブラック・エンジェルズ」だ。
藤田まことの「必殺仕事人」のアメリカ版だという噂もあったが、仕事人は報酬をもらってやっているので、マッコールのそれとは違う。
マッコールは行きずりの困っている人たちに「無料」で救いの手を差し伸べるのだ(たぶん)
今回はそんなマッコールの無私な戦いぶりと生きざまをとくとレビューさせて頂こう!
【注:ネタバレあり】
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ひたすら「人助け」をする元凄腕のエージェント
前作では行きつけのダイナーで出会った少女を助けた話だったが、今作では新しい町でマッコールの伝説が始まる。
映画の冒頭は、雄大なトルコの山を横断するイスタンブール鉄道の空撮シーンが映し出された。
まるで「オリエンタル鉄道殺人事件」のような始まりとともに、列車の中で一人の男が本を読んでいた。
そう。
読書好きの哲人エージェント、マッコールだ。
彼はなぜかイスラム教の信者のように白く丸い帽子をかぶり、豊かなあごひげを蓄えていた。
そして隣に座る家族にしきりに目を注ぐ。
少女が気に留まったのか、マッコールは彼女に度々視線を止める。
やがてその席から父親らしき男が立つと、マッコールもしばらくして同じくして席を立った。
食堂車に行き、バーテンダーに飲みものを注文するマッコールだったが、営業時間外だと断られる。
それをそばで見ていた先ほどの家族連れらしき男が、バーテンダーに飲みものを出すように勧め、自分も横に座った
しばらく談笑するうちに、マッコールは自分のことを語り始めた。
自分の仕事は人探しだと。
家族連れの少女、それはアメリカにいる元妻から誘拐された少女を探しているのだということを。
男の表情が変わった。
マッコールの視線も鋭くなる。
男は後ろにいた仲間に視線を送った。
マッコールは腕時計に目をやった。
その瞬間、マッコールの脳内では仲間たちが自分に襲い掛かってくる映像が流れていた。
時計をセットするマッコール。
次の瞬間、背後にいた仲間たちはマッコールに襲い掛かった。
しかし。
マッコールは脳裏に浮かんだ展開の通り、ものの数秒で男たちをなぎ倒し、最初の男の横に座った。
そして静かに言った。
「痛みには肉体からくるものと、自分が犯した罪を後悔する心のそれとの2種類がある。どちらか一つを選べ」
マッコール復活の瞬間だった。
前作でのホームセンターの店員を生業としながら、影で次々と困っている人たちを救うマッコール流「世直し」が冒頭でいきなり展開されたのだ。
その後、少女はアメリカの弁護士事務所の一室で母親に抱かれていた。
「国務省も把握していない。誰が彼女を連れ戻ったのか分からないんだ」
弁護士(たぶん)が母親に伝えた言葉だった。
前作から続くこの映画の掟。
詳しく前後を描写することなしに、正義の鉄槌を下し、そして去る。
助けた当事者や関係者にマッコールが何かを語ることはほとんどない。
人知れずに誰かを助けることが、彼の心の支えになっているのだろう。
その後、行きつけの書店で予約していた本を取りに行ったときに、レジの中でトルコの鉄道で助けた少女が座っていた。
次に出てきた女性店主がマッコールの対応をしていたときも、誘拐の話は一切出なかった。
ただマッコールは黙って少女に微笑みかけ、指で「しーっ」と示すだけ。
少女も微笑みながら頷き、「しーっ」という態度で返すのだった。
本を買ったマッコールは店を出る時に振り返り、こう尋ねる。
「ドアにかけてあった「売り店舗」の張り紙は?」
女性店主は微笑みながら答えた。
「ううん、続けることにしたの」
このシーンだけで、書店の娘が誘拐されて、それを知ったマッコールが手弁当で誘拐犯に裁きを下し、娘が無事に帰ってきた店主は店を続ける希望を見出したことが示されていた。
何も言わない。
何も誇らない。
この序盤のシーンこそが、マッコールの真骨頂であり、彼がどういう人間であるのか、十分に示していると思う。
その後も、マッコールは人助けをしていく。
悪い客に麻薬を無理やり服用させられ、マッコールのタクシーに乗せられたコールガール、悪い仲間にそそのかされる絵の才能に溢れた若者、生き別れの妹を探し続ける老人ホームの男性、生きがいである花壇を荒らされた移民の女性・・・
すべては見返りの無い人助けであり、「誰もやらないなら私がやる」という精神を実行しただけであった。
しかし一つだけ、人助けでない仕事があった。
それは・・・
別件のCIAの協力者が殺された事件の捜査を続けていたスーザンが、捜査のため滞在していたホテルの部屋で二人組のバックパッカーに襲われて殺されてしまう。
彼女は捜査の直前に、相棒であるでデイブに犯人の詳細が分かったことを伝えていた。
殺害後に知らせを受けたマッコールは、かつてのエージェント仲間だったデイブに再会し、スーザンを殺した背景を共に調べることを確認しあった。
そして・・・
犯人は分かった。
途中からの話の流れと登場人物の顔の表情で、その秘密は案外簡単に推測することはできていたが、「やはりな・・」という感じだった。
スーザンを殺した人物、CAIの協力者の暗殺・・
それは共通の犯人であり、かつての仲間、スーザンの上司であるはずのデイブの仕業だった。
任務を解かれたエージェントの末路、自分の組織での将来を見越したデイブは、仲間を誘い、もう一つの仕事として「暗殺業」を請け負っていた。
その一つであるCIA協力者の家族の暗殺の件を暴かれつつあることを知り、使い捨ての駒を使って犯行に及んだのだった。
スーザンの残した手がかりでマッコールはその事を知った。
任務を解かれたエージェントの哀しみも理解できなくはない。
この世知辛い世の中にあっては「善も悪」もなく、またそれを気にしていては生きてはいけない厳しさも本当のことだろう。
ただ越えてはならない「一線」があった。
無関係の人々を殺すこと。
それを「不運な人間」と切り捨てる残酷さ。
マッコールの「裁き」が発動する瞬間だった。
イコライザーvsイコライザーの生死をかけた戦いが始まった。
少し冗長だった作品の展開
最後までペースを崩さずに「己の流儀」を貫いていたマッコールの魅力は相変わらずだったが、映画のテンポ自体は少し冗長になっていたように思う。
個々の人助けをする際のキレ味の鋭いアクションや悪人どもをなぎ倒す痛快さは十分にあったのだが、その裏で映画の本筋である「殺されてしまった元上司への恩返しの意味を込めた復讐」とはまったく関係の無い「人助け」が1,2入ってきてしまい、それが何のつながりもなくメインストーリーに組み込まれてしまったことで、作品の世界観に引き込まれるべき緊張感を絶ってしまった感があったのだ。
特にコールガールに無理やり麻薬を摂取させた金持ちのドラ息子連中を制裁するシーンや、近所に住む若者の更生を助けるためにギャングのアジトに乗り込むシーンなど、別になくても物語には影響しなかったのでは?と思ってしまう。
マッコールの腕前を強調するためなら、冒頭の誘拐犯の流れだけで十分に理解できたし、町のギャングのアジトで若者を助け出したときも、期待されたギャングとの銃撃戦やアクションが全くなかったために、逆に肩透かしを食らった気分だった。
その意味では、前作のマッコールの人助けは、全てが本筋の「コールガールの少女を助ける」という一点に関係していて分かりやすかったし、唯一、無関係な暴力と思われたホームセンターの泥棒への制裁も、逆にそれが彼の「早業」を示すのに役だった。
前作からの流れでマッコールの凄さをすでに理解している観客としては、あえて無意味な制裁シーンを2つも入れることで、時間を無駄に使っているように感じてしまった。
健在だった「19秒」の制裁シーン
とはいえ、やはりその凄腕ぶりは見ていて気持ちよかった。
敵を倒す前に腕時計をチラリとみて、ストップウォッチをセットする身振りは「戦いの儀式」のように見えて恰好良かったし、実際にその時間内にどんなに悪い奴でも、あっという間になぎ倒していく様は爽快感すらあった。
身近な道具を利用しての戦闘術というのも、実際の現場エージェントが使っていそうなリアル感があって最高だ。
こういうのはスティーブン・セガールが自身の「沈黙の~シリーズ」で確率した手法だと思うのだが、それをデンゼル・ワシントンという静かな表情をした俳優が演じることで、より一層の現実感を醸し出しているように感じる。
知的で物静かな表情のエージェントというのは、デンゼル以外にはマット・デイモンの「ジェイソン・ボーンシリーズ」があるが、これも使われる戦闘術の端々にリアルなスパイ感があって、見ていて引き込まれてしまう。
敵役のイコライザーであるデイブは、今年の正月に公開された「キングスマン2」で敵に寝返った役柄の俳優さんが演じており、顔を見てすぐに気づいた。
このデイブもいかにも人好きしそうなフレンドリーな顔つきをしてるが、実は最も悪いことを実行していて、しかもそれを何の躊躇もなく行ってしまうところに、現実社会にもいそうなキャラクター設定で妙に納得してしまった。
そういえば、昔にいたあの会社でも・・・(ここまでにしておこう)
”賢者”マッコールの比類なき存在感
引退した元エージェントという設定(実際には途中で姿を消したのだが)があってか、枯れた雰囲気を醸し出しているし、実際の演者であるデンゼル自身も年齢が63歳ということで、その佇まいや物腰がすごくナイスミドルだ。
さらに読書好きの物静かなキャラクターというのも手伝って、見るものにある種の安定感を感じさせてくれる。
倒すべき敵や救うべき対象の若者にかける言葉も「格言」めいていて、たとえば最も印象的なのが、近所に住む若者をギャングの巣窟から連れ出すときにも、「人種差別とか偏見とか、環境が悪いとかは関係ない、お前自身がどう決めるかだ」「死がどんなものかわかっていない」「生きている時間を有効に使え」と熱く繰り返し人としての道を説くシーンは心を動かされた。
まだ知り合って間もないころにマッコールの部屋を訪れた若者が、キッチンで料理中に勝手に料理に手を伸ばそうとしたとき、「俺はお前のお袋じゃない。そしてここは俺の家だ」とビシリと言い、保つべき一線を超えないように暗にたしなめたところも、インディアンの古老のような雰囲気を醸し出していて良かった(相手に敬意を払えという意味)
終盤で敵を倒した後、人質にされていた若者を救い出した後に、かつての自宅で若者と並んで座り、多くを語らずに共に窓の外を眺めていたところも、男同士の沈黙の会話を見たような気がした。
言葉を少なくして己のことや人生を語らず、静かだが強く優しい目でそばにいるマッコールの存在感は、恐らく父親がいないだろう若者にとっては絶大な影響力があったと思うし、それは修羅場を潜ってきたものでしか表現しえないものだろう。
こうした演技を難なくこなしてしまう、そしてそれが人一倍似合ってしまうデンゼル・ワシントンという俳優の良さ・・・
その演技力は年齢を重ねるに従って「深み」を増しているようにも感じた。
まとめ
アクションも良かったが、今作はより社会問題に切り込んでいるように思えた。
人種差別や麻薬中毒などのアメリカ社会に従来から根差す問題をベースにしつつ、成すべきことを己に課して静かにこなす責任感、義務感の大切さを表現したマッコールの気高き人間性を通して、イラク戦争以後のアラブ系住民への眼差しや、トランプ政権発足後に蔓延する(といわれている)「不寛容」を鋭く描いているように感じた。
同時にマッコールという男の持つ飛びぬけた「正義感」が、見ているこちら側にも自分がどこかに置き忘れてきたような感覚を思い起こさせてくれるような気がして、単なるアクション映画というレベルを超えた感動を少なくとも私には与えてくれた。
もちろん「あり得ない」アクションとか展開が満載でもあるので(笑)、そこは映画として割り引いてみる必要があるが・・
そう考えてみると、この映画の魅力の多くは主演のデンゼル・ワシントンの格別な存在感が担っているといえる。
誠実さ、実直さ・・・
彼の持つ人間性は役柄に実存性を与えるのだ。
そして同時にこんな言葉も思い出した。
「力なき正義は無力、正義なき力は暴力」
マッコールが体現しているのは「力を伴った正義」であり、それが世直しアクションとしての根底を成している。
まさに最強の60代、世直しアサシン。
ぜひとも、3部作を希望したい。
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