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40代に熱く響いた!NHKの「北斗の拳」制作秘話に心躍った話

2022年10月12日

過去にNHKの番組「アナザーストーリーズ」で放映されていた「北斗の拳」の制作秘話レビューです(初回放送2021年3月3日)

「“北斗の拳”誕生〜舞台裏のもう一つの“格闘”〜」

たまたまかけたテレビで見た再放送の内容ですが、自分が子供時代にドはまりしていたマンガのバックストーリーということで、すぐにハマって最後まで見切ってしまいました。

いやあ、熱かったですよ。

なにしろ「北斗の拳」は小学生から中学生にかけての男の子の「バイブル」でしたからね。

核戦争後の世紀末な世界観という斬新さと、伝統的な武術の継承者が繰り広げる熱い戦い、そして何よりも登場人物たちの熱い思いや胸に響く言葉、優しさに満ちた行動など、少年漫画にはない「奥深さ」を無意識のうちに感じとることができたんですよね。

そんな熱い物語を作りだしたマンガ家と編集者の制作秘話となれば、これは夢中にならないはずはありませんて!

ということで、その内容のあらましとレビューをこれから紹介したいと思います!

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「北斗の拳」誕生秘話の熱いストーリー

原哲夫さんと堀江信彦さんの話


引用元:NHK

番組の序盤の主役は原哲夫さんでした。

北斗の拳の熱い世界観を描き出したマンガ家さんで、少年漫画にはありえない劇画調の綿密な絵柄が特徴的です。

描き出すバイオレンスな世界観とは裏腹に、原さんは少年の頃からマンガを描くのが好きな内向的な性格だったと言います。

その反動か、男らしいブルース・リーや松田優作さんに憧れて、いつか彼らをモデルにしたマンガを描きたいと夢みて、編集者に持ち込みをして売り込みに行きます。

その中でまだ若手だった集英社の編集者、堀江信彦さんが原さん粗削りなマンガに可能性を感じて、連載を担当することになったのでした。

この頃の原さんの風貌は繊細な二枚目という感じで、どちらかというとジョジョの奇妙な冒険の作者の荒木飛呂彦さんに似てるなと思いました。

そして担当することになった堀江さんは、色々な題材を原さんに任せるのですが、どれも上手く行かなかったのです。

漫画として将来の危機を感じた原さんは、決死の思いで「自分の好きなマンガ以外は書かない」と決めて、堀江さんに直訴。

堀江さんもそれを了承して、ついにあの「北斗の拳」が誕生したということでした。

当初は読みきりだった格闘マンガでしたが、主人公はケンシロウの面影がある高校生で、このキャラクターがあの寡黙なケンシロウに変わるのかと思うと、画面越しにみたそのキャラクターに色んな思いを抱きましたね。

その日から北斗の拳の連載が続くのですが、なにせ原さんはあの綿密な描写が持ち技ですから、毎回の連載で「命を削る」ような労力で書ききったと言います。

物語のキャラになり切って声を出したり、表情を出して書いたというから、もはやキャラが乗り移ったというほかありませんね。

そして担当の堀江さんも、マンガのストーリーを原さんの前で実演して、絵のイメージを膨らます手伝いをしたといいます。

あまりにも迫真の演技で、原さんも目の前で熱く力演する堀江さんを見て「物語に入り込んで泣いたりした」というほど!

確かに北斗の拳は絵のリアルさもさることながら、そこで描かれている人間の思いもリアリティがありましたからね。

今読んでも思わず涙してしまうほどの物語の奥深さは、このときの編集者と漫画家さんのリアルなやりとりがそれを可能にしたということですね。

さらにあの名セリフ「あべし!」「ひでぶ!」も原さんが作ったということ。

他の少年漫画と違って残酷なシーンを描くので、せめて言葉で面白くして中和させたいという思いで考えたらしいですが、当初は編集の段階で「誤植」としてスルーされていたそうです。

そうではないと分かった後も「こんなセリフはおかしい」と却下されてきたそうですが、何度も説得して、ようやくOKが出たとか。

今となってはあのセリフは北斗の拳を代表するものなんですけどね。面白いですよね。

そんな感じで連載を続けていた原さんですが、毎週の連載はかなりキツかったらしく、このときの無理がたたって今では左目がほとんど見えない状態になったといいます。

書く時に歯を食いしばったり、ずっと紙面に目を落として書いたり消したり、やり直したりするのですから、それは心身を削る重いですよね。

そして担当の堀江さんも決して妥協せずに容赦なく「やり直し」を命じたり、ヘロヘロになって出来上がった次週分の作品を原さんから受け取ると、それを受け取ってすぐに「じゃあ、これが次の週の分ね」と白紙の原稿用紙(マンガ用紙でしょうか?)を渡したと言いますから、まさに鬼教官ですね笑

しかし原さんも、そんな堀江さんの容赦のない編集者としての態度を当たり前として「もう毎週地獄でしたよ。でもああでもないとちゃんとした漫画は描けないですよ」と答えています。

本気と本気がぶつかる「熱いマンガ道」。

漫画家と編集者のタッグと熱い戦いがあってからこそ、あの名作が生まれたと思いますし、彼らの「命を削るような本気の仕事」があったからこそ、今読んでも胸を熱くさせてくれるパワーを持つんだと思います。

ちなみに今でも原さんは堀江さんと仕事をしているようです。

片目がほとんど見えなくなっているので、月に数ページの割合でしか書けないらしいですが、アシスタントの助けを得てマイペースに連載を続けているようですね!

武論尊さんの話


引用元:NHK

北斗の拳といえば綿密な絵が真っ先にイメージがきますが、その背景となる物語や、読者の心を激しく揺さぶった「熱い言葉」を作り出した原作者の存在を忘れることはできません。

原哲夫さんと堀江さんと共に名作を世に送り出してきた、もう一人のクリエーターが武論尊さんです。

長野県で生まれた武論尊さんは、家が貧しかったので中学を卒業後、航空自衛隊に入隊して7年間の勤務をしたといいます。

驚いたのが、この自衛隊時代に出会った本宮ひろしさんによって、原作者としての才能を開花させたということ。

本宮ひろしさんといえば「サラリーマン金太郎」「俺の空」で有名な「熱いマンガ家」さんですが、氏の前職が自衛隊で、しかも武論尊さんと同期だったというのは初耳だったので「ええ!」となりましたね。

思えば二人とも「男っぽい」作品を世に送り出しているので、このときの素地はきっと自衛隊時代に培ったんだと思います。

武論尊さんが自衛隊を辞めた理由などは詳しく説明していませんでしたが、きっと同時時代に漫画家としての思いを語っていただろう、本宮さんの除隊後の活躍を耳にして「よし自分も!」と思ったに違いありません(あくまで私の勝手な推測です)

すでに漫画家として活躍していた本宮氏の作業場に入り込んでアシスタントとして働きますが、絵がまったく描けなかった武論尊さんを見て「お前はもうやらなくていいよ」とダメ出しをされたとか(笑)

そこで落ち込んで帰郷するのかと思いきや、毎日酒を飲んで麻雀漬けだったといいますから、まさに男の中の男といいますか、本宮漫画を地で行くような生活スタイルが骨太すぎますよね。

そんな生活が可能だったのも、武論尊さんが話がうまくて、人を引き付ける愛嬌があったからということ。

ご本人曰く「ウソをつくのが上手いのが原作者」ということですから、創作者としての才能がすでにあったのでしょう。

自分自身も「絵は才能だから。自分にはないことを痛感していた」ということで、それならばとなって関係者からマンガの原作者の仕事を紹介されます。

最初は上手くいかなかったものの、後に「ドーベルマン刑事」の原作を担当してヒット作になったのでした。

そして次にきた「北斗の拳」の原作者の道。

「ドーベルマン刑事」後の模索を始めていた武論尊氏と、原哲夫さんの画力を活かすために原作者を探していた堀江編集者が出会い、ついに3人のタッグが始まるのです。

最初に原さんの絵を見た武論尊さんは「画力があるな」と感心したそうです。

そして原作を出して返ってきた、原さんのマンガを見て「衝撃を受けた」とのこと。

自分が思い浮かべていたストーリー以上の描写を作り上げていて「すごい」と思ったそうです。

だからこそそれに負けないように自分も必死になって、毎週のストーリーを練り上げたということのようですね。

ちなみに武論尊さんは番組スタッフによるインタビューを自宅で受けていたのですが、すでに70を越えているのに「毎日筋トレ」をしているといって、部屋にある懸垂機で鍛えている様子を見せていました。

見た目もスキンヘッドで体もがっちりしていて、いかにも「マッチョオヤジ」という風貌。

さすがは自衛隊出身者という風格を感じましたね。

そんなマッチョな武論尊さんが「ダメ出しをされて、何度も(編集担当の堀江さんを)殴ってやろうかと思った」「原さんとはほとんど会ったことも話をしたこともなかった」という裏話をしていて、このへんの「まさか」な流れも「おおおおお」と声をあげて見入ってしまいました。

さらに感動したのは「種もみの爺さん」の設定が最初はなかったということ。

後にTシャツになるほど北斗の拳の初期の名キャラになった「種もみ爺さん」ですが、最初に提出した武論尊さんの原作とそれを完成させた原さんのマンガを読んで「なにか物足りないな」と感じた堀江さんが「もっと刺さるものを考えよう」と再考することになり、熟慮の末に生まれたのが「種もみ」のシーンだったといいます。

このときに印象的だったのが

「編集者として、妥協できないラインがあるんです。そこを越えていれば受け取りますし、なければ絶対に受け取らない。そうしないと作品の質は保てないんです。そのためには30分間(原作者の武論尊さんの説得)という時間は乗り切るしかないんです。それをしなかったら後で後悔することになるので」

と穏やかに語った堀江さんの言葉でした。

もうすっかり白髪が増えて優しい風貌の現在の堀江さんですが、きっと当時は目つきの鋭いやり手の編集者だったのでしょう。

そんな堀江さんにも引けをとらない「ワイルド&バイオレンス」な武論尊さんを前にして30分間も粘って説得するのですから、まさにその場ではケンシロウとラオウの戦いのような「激しい闘気」が二人の間で飛び交っていたに違いありません。

そんな熱いやりとりと妥協のない作品作りを続けてきた結果、今でも多くの人の胸を熱くする漫画が残っているのですから、このときの修羅場の甲斐もあったというものですよね。

そんな骨太で人の心を激しく揺さぶる漫画のセリフとストーリーを考えた武論尊さんの原点は、北斗の拳を担当する前に訪れたカンボジアでの風景だと言います。

当時はポルポト政権による大虐殺の後の国情で、歩いているとそこら中に人骨があったといいます。

当然、街の人々の雰囲気も哀しみや殺伐とした空気感が濃厚にあったでしょう。

そこで感じたのが「圧倒的な暴力の犠牲になるの、いつも弱い存在だ」ということ。

当たり前のことかもしれませんが、そのことを改めて肌身で感じられたと思います。

それが「北斗の拳」の世界観に強く影響したと言いますし、物語に何度も現れる「か弱きものを守る存在」の原点だと言えます。

リアルな「暴力で荒廃した世界」を目にした武論尊さんの体験こそが、「世紀末救世主伝説」を作り出したということ。

そしてそれが少年の頃から憧れていた「ブルースリー」「松田優作」をベースにした武術漫画を描きたいという原さんの思いが合わさったということ。

その二人を引き合わせ、強烈な編集者魂で作品に磨きをかけた堀江さんの存在。

まさに3人の力と体験が強力に合体した結果が「北斗の拳」なのですね!

面白いと思ったマンガ制作の展開

北斗の拳だけではなく、他にも数々の名作を生み出してきた少年ジャンプですが、実はその物語の展開の仕方は「流れに任せる」ことにあると言います。

そのことで面白いなと思ったのが、

「最後まで結末を決めていたら、面白さが出てこない。次の展開なんて2話か3話くらいでいい」

という堀江さんの言葉でした。

これは堀江さんが担当していたマンガだけではなくて、少年ジャンプのスタイルがそうだったということだそうです。

この言葉は実はかなり共感を感じまして。

というのも、私も過去に何度か小説を書いたことがあるからなんです。

もちろんプライベートな物なので、世に出ようというのとかではなかったのですが、仲間内に見せて「面白い」と言ってもらえた作品はだいたいが「流れに任せる」感じで書いたものが多かったんです。

その時の経験は今のこのブログ執筆でも活かされていて、この文章も書きながら次の展開をその流れに任せている感じで進めているんですよね。

なので堀江さんの言葉はすごく「胸にストンと落ちた」感覚があり、納得できた部分でもありました。

もちろんプロの世界と趣味の世界ではレベルがまったく違うので、同列に考えるのは無理があるのですがね(笑)

「ライブ感」という意味では、流れに任せることで生み出せるパワーがあるでしょうし、そこに人を引き付ける「勢い」も出てくると思うんです。

北斗の拳もその流れの中で書かれてきたと言います。

あのケンシロウの胸の七つの傷も武論尊さんが適当に考えたもので、次の展開を繋げていくときに「あれをシンという敵につけられたことにして、好きな女性を奪われた哀しみとかを物語につけ足していけばいいのでは?」と後で思いついたらしいのです。

それを思いついた時に武論尊さんは「俺、天才だな!」と自画自賛したらしいですが(笑)

番組では語られていませんでしたが、きっと他のストーリー展開も、その場その場で考えていったものが多いのでしょうね。

自分の中では「練りに練られた原作を元にして綿密な画力で仕上げられた壮大な世紀末絵巻」を想像していたので、ちょっと意外でしたが・・

ともあれ、名作の背景にはそんな意外な裏話もあったということですね。

まとめ

1983年に始まり、1988年に終わりを告げた「北斗の拳」。

自分の中ではもっと年月があったのではと思っていましたが、足かけ5年の連載だったんですね。

実は学生の頃に連載中のこの漫画を読んでいて、その最期は当時は見ることはありませんでした。

終わってから数年後に「あれ?もう終わってたの?」と友人の家にあった単行本を読んで、初めて気づいたのが「ザ・ラスト・オブ・ケンシロウ」でした。

すでに別記事で詳しく書いていますが、あの映画のエンディングのような最終シーンのカットは感動しかありませんでした。

その直前のケンシロウが空に浮かぶユリアの笑顔に微笑みかけるシーンも感動しましたし、バットを生かしたのも涙が止まりませんでした(リンがバットのそばにいると決めたシーンも)

最終に至る物語自体はかなり無理筋でしたし、ラオウの息子のあたりで終わっているべき展開だったと思うのですが、それもすべてリン、バット、ケンシロウ、ユリアという、マンガが始まった最初に出てきていたメンバーに回帰し終息したという感動で、全てが報われた気がします。

そんな感動の物語を作り上げた原作者と漫画家、編集者の3人の「北斗の拳 誕生秘話」。

予想以上に濃いバックストーリーと、それぞれの創作者としての思いや歴史が積み重なった、久々に見応えのあるドキュメントだったと思います。

自分自身が読者時代を得たリアルタイムな経験も強かったと思います。

そして40代以上の方なら、きっとこの感動は伝わるのではないでしょうか。

もし未見の方がいたら、ぜひ見てもらいたいなと思います。

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