80年代アメリカンポップ・リスニング史上の大本命登場!
そう、私が唯一ファンクラブに入り、さらには情報交換のペンパルまで募集した唯一のアーティスト、デビーギブソンさんであります!!!
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デビーとの出会い
思えば87年初頭のことでした。
テレビでそのころよく見ていた洋楽番組「popベティハウス」で、このアーティストのプロモビデオを目にしたのがファンへの始まりです。
「か、かわいい・・・」
目を点にして最初は見ていましたが、そのうちかぶりつきで画面を食いいるように見つめている私がいました。確か中学2年の秋か冬のこと。
その後彼女のアルバムを探すこと徒歩約15分、駅前のレコード店で「アウト・オブ・ザブルー」のカセットを見つけましたとも。(カセットですよ!)
家に帰って聴きまくること鬼の如し。
さらにその足で再びレコード店に向かったのが確か次の日。
更なるデビーレコードはないものかと探して見つけたのが、「アウトオブザブルー クラブミックス」なるものでした。確かテクノ/ハウス風に曲がアレンジされたものだったと思います。
これも腐るほど聞きましたねー。
その後、件の洋楽番組でデビーのプロモビデオを見るたびにビデオカセットに録画してましたっけ。
ペンパル募集に当時発売されてた洋楽雑誌「ポップギア」「music life」「In rock」の3誌に投稿し、「3誌全部に載るなんてスゲエです!」という、全然デビーファンでない人からの全然関係ない賞賛の葉書をもらったこともありました。
そしてもちろんデビー最大のヒット作「エレクトリックユース」ももちろん予約買いして、その勢いでファンクラブに入ったという麗しい記憶がございます。
ただし!!
その次の年に出たアルバム「anything is possible」はもちろん買いましたが、僕の中ではもはや、80年代のデビーの輝きはありませんでした。
というのも、曲はどれも良かったのですが、なんというか、前作よりもよりアダルトチックに仕上がっていたからなのですねえ。
ティーンエイジャーのポップアイドルから、大人の女性ボーカリストとしての第一歩を歩み始めたアルバムがこれだったのでしょうが、自分はあくまで「アイドル」としての彼女にすごく魅かれていたのです。
年齢的にも20代を迎え、アーティストとしての幅を広げる時期がきていたのでしょう。加えて僕自身もロックの良さに目覚め始めた頃でもありました。
ガンズ、デフレパード、ウォレント、モトリークルー・・・・ 男くさいHRの縦ノリに合わせて登下校をヘッドハンギングでエンジョイしていたハイティーン時代。
そうしていつしかファンクラブの会員更新は途絶え、多くのペンパル達との交流もなくなっていったのです。
そしてもちろん、デビーのアルバムも再び買うことはありませんでした・・・・・
デビーとの再会
それから紆余曲折を経て成人し、さらに時を経て、世の中にyoutubeなる便利なツールがあることを知った30代半ば。
ちょうどこの音楽ブログを書こうと決心し、様々な動画を検索し始めたのが30代後半。
そんな流れで、デビー・ギブソンと感動の動画再会を果たしたのが昨年のことです。
もちろん実際にではありません。
動画上で20年ぶりに彼女を代表する大ヒットシングル「ロスト・イン・ユア・アイズ」(1989)を目にし、当時の懐かしい感情がわなわなとこみ上げてきた瞬間でもありました。
思えば80年代後半はデビー・ギブソンとともにあったのです。僕の青春と共に・・・・
ああ、愛しきあの時代よ・・・
デビー・ギブソンのバイオグラフィー
80年代ビルボードチャートに詳しくない方のために、彼女の略歴を書いたウキペディア記事を以下にまとめてみました。
ニューヨーク州ブルックリン生まれ。
幼少時からピアノを習い、また作曲の才能も発揮する。
1986年にアトランティックレコードと契約し、1987年に自身で作詞、作曲、プロデュースも手がけたアルバム『Out of the Blue』で16歳でデビュー。
デビュー曲の「Only in My Dreams」はビルボード4位の大ヒットを記録し、4枚目のシングル「Foolish Beat」は1位を獲得。たちまちスターダムに駆けのぼった。
同時期に同じく十代の女性歌手としてティファニーがデビューし、ライバル関係と目されるようになる。
2枚目のアルバム『Electric Youth』はアルバムチャート1位、シングルの「Lost In Your Eyes」も1位の大ヒットとなる。
日本では90年にTBS系列で放送された浅野ゆう子、いしだあゆみ共演のドラマ「男について」のテーマ曲として、山下達郎の曲にデビー・ギブソンが英詞をつけて、「ウィズアウト・ユー」を大ヒットさせた。(この曲は日本以外では発表されなかった為、海外のファンが日本のCDを手に入れようと苦労したと言われている)
その後は主にミュージカル女優として活動、「レ・ミゼラブル」「グリース」などに出演する。
その傍らアルバムもリリースし、アイドルのイメージから脱却するためデボラ・ギブソンと芸名を変えた。
現在もミュージカル、音楽の両方で活動中。
2006年、元ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのジョーダン・ナイトとデュエットし、ビルボードアダルトコンテンポラリーチャートの24位に入って久々に表舞台に登場した。
2010年には、デビー・ギブソン名義でJ-POPの男性ヴォーカル曲のカヴァー盤「Ms. VOCALIST」を日本でリリースした。
(参照元:ウキペディア「デビー・ギブソン)
2000年代に入ってからのデビーの容姿は以前に比べて、随分と大人っぽくなっていますね。
でもできればあの頃の純粋で健康的、キュートだった彼女のままでいてくれたら・・・・とは思いますが、彼女も40を越えてるわけですから、年相応の落ち着いた大人のセクシー女性になってるのは当然なんでしょうね。
まとめ(2017年に一部追記)
最後に驚くべき事実をひとつ。
Debbie Gibson Comes Clean About Her Own Drug Past, Says She Can Relate to Prince
デビーがドラッグを使用していたことをテレビ番組で暴露していたということだそう。(2016年の米TV番組「オプラ・ウィンフリーショー」での発言)
プリンスの死去についてがきっかけで、かつての話を始めたようですが、デビー曰く「エンタメ業界に属してるほとんどの人間なら経験はあるはず」とも語っています。
芸能界というのは、日本でも昔からそれ系の噂はずっとあるので、ドラッグ大国のアメリカなら言わずもがなという感じですが、これがデビーの口から出るとは、なんとも衝撃的ですねえ・・・
とはいえ、今はクリーンになっているらしいので、ファンの方は心配なきよう。
でもそれ以上に心配なのは彼女の見た目。
上のリンク写真でもわかるように、かなり劣化が激しいです。
かつてのふっくらとした頬もこけ気味で、額のしわも目立ちますしね。
たぶん整形の影響もあると思いますが、エンタメ業界の一線で立ち続けている苦労のようなものも関係してるのではと思います。
彼女の見た目の劣化は2000年後半から顕著になり始めていたのですが、ここ数年はさらに拍車がかかっている感じがするので、ひょっとしたら健康上の問題を抱えているのかもしれません。
舞台女優でもあるようなので、役作りのための減量が原因であるのかもしれませんし、いろいろと心配にさせられますね。
とはいえ、今でも頑張って芸能界で活躍してくれているのは、かつてのファンとして心強いもの。
自分が好きだったのは、かつての輝いていた時代のデビー・ギブソンですが、最近の頑張ってる感の強いデボラ・ギブソンもあながち悪くありませんから。
住む世界はまるで違えど、同じ時代を生きてきた同世代のミドルエイジャーとして、なんだか無性に応援したくなります。
では最後にデビーの動画のコメント欄に書かれていたファンと思われる方の書き込みを紹介します。
この言葉こそがデビー・ギブソンの全てを表しているのではないでしょうか?
she was so much Better than Britney or Christina in those days, she wrote produced and sung live pretty much all the time. She was a true talent and gem and never needed to sexualise her image to sell records!
”あの頃のデビーは、今のブリトニー(スピアーズ)やクリスティーナ(アギレラ)なんかよりもずっと良かったよ。彼女は自分で曲も書けたし、セルフプロデュースもできた。ライブではいつも最高の歌を聞かせてくれたんだ。デビーは本当に才能があって輝いてたし、レコードを売るためにセクシーなイメージで飾る必要なんか全然なかったんだから!”
I totally agree with you!!(まったくその通りっす!!)
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