85年公開のアメリカ映画「ホワイト・ナイツ/白夜」のサウンドトラックから。
全米ビルボードチャート8位を記録した。
映画は、ソ連系アメリカ人のバレリーナと、アメリカ系ソ連人バレリーナが友情を育み、紆余曲折の末、両者とも自由の国アメリカに亡命するという、当時よく描かれた自由万歳の作品だったが、映画そのものよりも、ミュージックビデオがより印象的で、 多分これが生まれて初めて見たサウンドトラックなんじゃないかと思う。
途中で歌のリズムが早変わりするのが面白かった。
今回はそんなサントラを歌う、ライオネル・リッチーについて語りたいと思います。
Check!!ジェームス・ボンドのファッションブランド
Check!!ロック&バイクファッションブランド
*本サイトの記事内に広告が含まれる場合があります
ライオネル・リッチーについて
この曲を歌うシンガーは、御大ライオネル・リッチー。
総計一億枚以上のアルバムセールスを誇るアメリカのポップシンガーは、1974年にコモドアーズのメンバーとしてデビューし、1982年からはソロとして活動し、1983年にリリースされたアルバム『オール・ナイト・ロング』で全世界でトータルセールス2000万枚を超える大ヒットを放った。
他にも彼の代表曲である「エンドレス・ラブ」も世界中で愛されるスタンダードナンバーとなっていて、まさに世界のポップシンガーとして一時代を築くことになる。
個人的には彼のライオン髪型が名前の「ライオネル=ライオン」と似てて、そっちのほうに気をとられて笑ってた記憶があるけど(笑)。
「Say you , say me」以降は表舞台からしばらく姿を消していたようだが、96年に復帰し、2006年、2009年、そして2012年とゴールドディスクを獲得するほどの売り上げを記録するようになった。(ちょうど2007年~2008年のあたりに来日している)
本国アメリカよりもヨーロッパやアラブ諸国で人気を誇っているのが特徴的で、2006年の米国ABCテレビのレポートによると、成人したイラク人男性がうるんだ目で”ライオネル・リッチーは最高!”と叫んでいて、米軍戦車部隊のバグダッドに進撃の際には、イラク市民が「オールナイトロング」を歌っていたという。
Lionel Richie - All Night Long (All Night)
リッチー自身も戦争に反対で、再びバクダッドを訪れてライブをしたいと語っているそう。個人的に思うのだけど、ライオネル・リッチーがこれだけ中東の人に愛されるのは、米軍のイラク侵攻に反対しているのもあるだろうが、それ以上に彼自身に中東の血が入っているからではないかなと私は睨んでいる。
顔つきも普通のアフリカ系とは異なるし。
どちらかといえば、カタールとかにいそうな感じ。たぶんご先祖はベドウィンだったんじゃないだろうか?
最後に
80年代洋楽好き的に気になる情報としては、同じくアメリカのポップシンガー、リチャード・マークスを発掘したのも、リッチーだったというのも有名な話だ。
リチャード・マークスはデビュー前までライオネル・リッチーの書生だった!
地元で音楽活動をしていた高校生のマークスを、卒業後に自分の元に来るように勧めて数年間修行をさせたらしい。
おそらくマークスの父親が有名なミュージシャンだったのも関係してるのだろう。
数年前に来日したリッチーだが、また日本に来て「セイ・ユー、セイ・ミー」を歌ってほしいものだ。