「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」「ホビット」の作者であるJ.R.R.トールキンの伝記映画を観に行った。
公開前に予告編でこの作品を初めて知った時、スクリーンに流れる美しい英国の自然風景を見て「これは絶対に観たい」と心から感じていた。
そこに映し出された森や木々の景観はまさにホビットたちは住む村の田園風景そのものだったからだ。
それはまさにトールキンの生まれ育った故郷そのもの。
そして実際に映画の内容は素晴らしいものだった。
決して派手ではないが、愛と友情、自然への憧憬、戦場での過酷な現実、語り継ぐべき物語への思いがたっぷりと詰まった心染みる約2時間・・・
そんなトールキンの物語を映画の流れと共にレビューしていきたいと思う(ネタバレがあるので注意!)
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恵まれなかった子供時代
映画は戦場シーンから始まった。
何かを思いながら、荷物をまとめ、塹壕内のトンネルから前線の塹壕通路に赴く青年トールキン。
部下に行き先を聞かれ「親友を探しに行く」と答えた。
そして場面はトールキンの故郷の田園風景に移る。
森の中でチャンバラごっこをする子供たち。
その中にトールキンはいた。
森はまるで後の彼が生み出す物語の舞台のように美しく穏やかで、それでいて何かが出てきそうな幻想的な一瞬を垣間見せていた。
満ち足りた日々を送るトールキンのように思えたが、その幸せはすぐに暗転する。
何かの事情で家を追われ、神父の後援の元で新たなる生活を狭く暗い都市部で送ることになったのだ。
映画では家族の背景がまったく説明されていなかったが、後にウィキで調べてみると、もともとトールキン一家は南アフリカで暮らしていて、銀行の支店長をしていた父親の職もあって、裕福な生活を送っていたらしい。
ただその父親が病気で亡くなってしまったことで一家の収入が途絶えてしまい、トールキンらはイギリスにもどって母親の両親と暮らしていたという。
その母親もカトリックに改宗したことで、それまで得ていた親戚からの財政支援を失い、そのために田舎から都市部に移らざるをえなかったのだ。
映画ではその引っ越しの場面から映し出されていたが、そのときに世話をしていたのが改宗したカトリックの神父だった。
この神父さんがトールキンの後の人生に大きな影響を与えることになる。
この神父を演じているのが、コルム・ミーニー。
ブルース・ウィルスの「ダイ・ハード」や、スティーブン・セガールの「沈黙の戦艦」、ニコラス・ゲイジの「コン・エアー」で見たことがあったので、どちらかというと悪役のイメージが強かった俳優さんだ。
トールキンとの絡み以外は出てくることはないのだが、短いながら妙に心に残った存在だった(あとで詳しく説明します)
引っ越した先の町はいかにも当時、産業革命の真っ最中だった英国の社会事情を表しているようで、狭く立ち並んだ家々、工場のばい煙と暗くすすけだった空の色で町は彩られていた。
冒頭の美しい田園風景とは正反対の「心すさむ景観」。
まさにロード・オブ・ザ・リングに出てくるホビットの住む村と、オークやサウロンが本拠とする火山のふもとや山々の荒涼とした風景の対比そのものだった。
教育熱心で、特に物語への思いが強かった母親は、息子らに幻想的なおとぎ話を毎晩語っていく。
後にトールキンが物語に思いを寄せる素地はここに出来ていた。
そんな環境の悪い街で健康を害したのか、母親はある日亡くなってしまう。
残されたトールキンと彼の弟は孤児になってしまった。
神父が二人を引き取り、裕福な信徒の家に居候させることになる。
ここで同居していた3つ上の女性こそが、後にトールキンの妻となるエディスだった。
親友となった3人の学友との出会い
トールキンは孤児ながらも、神父の後援で学校に通うことになる。
当初は名門の出でもなく、孤児だったトールキンを敬遠していたクラスメートの幾人かは、やがて心を開きあい、互いの全てを語りあう親友同士になっていく。
校長の息子であるクリストファー、作曲家を目指すロブ、文学を愛するジェフリーとともに、トールキンらは「T.C.B.S」という名前をつけて、いわゆる仲間内だけの秘密結社を結成することになる。(学校の近くのバロウズの店や学校図書館で不法にお茶を飲むことを好むことを示す「ティー・クラブとバロヴィアン・ソサエティ」の頭文字を取った名だという。by wikipedia「J.R.R.トールキン」)
学校内での秘密結社は、イギリスやアメリカの映画でもよく出てくる存在で、実際に「スカル・アンド・ボーンズ」という団体がイギリスのイェール大学にも実在する。
確かアメリカのブッシュ元大統領もそうした組織に入っていたという話を聞いたことがあるが、それも学生同士が互いの仲間意識を共有するための遊び半分、真面目半分なものだろうと思う。
それがこの映画の「T.C.B.S」結成の流れにもよく出ていて、若いころの仲間内同士のこうしたやり取りは自分も経験したこともあって、いかにも青春という感じで見ていて微笑ましかった。
そうして月日が流れ、トールキンは大学受験の年齢に達する。
その間にも同居していた同じ孤児仲間のエディスと恋に落ち、結婚を約束するも、自分を後援していた神父からは、
「亡くなった母上からお前の将来を託された。今は受験勉強に集中するんだ。もし21歳になっても今の気持ちが続いていたら、その時はお前の好きにすればいい。だが今はダメだ」
とキツい言葉をもらう。
そのときは反発したトールキンだったが、結局はその言葉に従い、エディスと会うことを辞めてしまうのだった。
ちなみにエディス役を演じていたリリー・コリンズという女優さんがかなり魅力的で、トールキンが恋に落ちる感覚をすごく分かるような気がした。
ただ可愛いというだけでなく、コケティッシュな外見の魅力とともに、目や顔の表情から滲み出す「しとやかな感情」がすごく伝わってきて、演者としても優れていると感じた。
もし自分がイギリス人で十代や二十代だったなら、確実に恋に落ちていただろうなと思わせる、古典的だけど今風の魅力を兼ね備えたチャーミングな女優さん。
しかしこの人、実はあの有名なフィル・コリンズの娘さんというから驚きだ。
フィル・コリンズといえば、私の青春時代である80年代洋楽ヒットチャートの常連ミュージシャンで、まさかあの髪の毛が〇〇なお父さんから、こんなチャーミングな娘さんが生まれるとは不思議でならない。
ロードオブザリングつながりでいうと、映画でエルフの王女役で、人間とエルフのハーフ王アラゴルンと最後は結婚した美しきアルウィンを演じたリブ・タイラーも、あの世界的ロックバンド、エアロスミスのスティーブン・タイラーの娘だという衝撃度もかなりのものだった。(モンキー顔のお父さんと美しすぎる娘の血のつながりが理解できない。お母さんがよほど美人だったんだな)
そんな余談は置くとして、神父との約束通りにトールキンは勉学に励み、一度は失敗するものの、ようやくオックスフォード大学に入学することになる。
そこではジェフリーもいた。
親友の他の2人はケンブリッジ大学に進んだが、4人は学校は違えど、その交流はずっと続いていた。
この頃にはトールキン役はニコラス・ホルトが演じており、若き日のトールキンの文学や言葉への思い、エディスへの恋心、3人の親友たちとの変わらない友情を淡々と、しかし内に秘める情熱を併せ持った演技でしっかりと表現していた。
この俳優さんに関しては、後で項目を作って詳しく述べたいと思うが、とにかく「目の表情」が良いと思った。
ピュアでクレバーな目力は、様々な苦難を得ても静かな情熱を失わないトールキンの人生そのものを表現していると感じたのだ。
学校の成績が悪くなり、奨学金を打ち切られそうになったときも、言語学の教授に熱く自分の言葉への思いを伝えるときの表情、その元で勉強をしていく目の表情、全てひたむきで純粋だった。
挫けそうになったときに支えてくれた友人たち、トールキン自身の静かなる不屈の想いが、全ての出来事の裏で上手く絡み合っていたのだった。
そんなトールキンとエディス、3人の学友たちの運命はついに決定的な時を迎える。
それは戦争だった。
エディスとの関係、そして戦場へ
第一次世界大戦が勃発していた1915年。
トールキンは仲間と共に陸軍に入隊する。
入隊の前夜、4人は集まり、これからも変わることなき友情を誓い合った。
戦地に向かう当日には、かつての恋人で今は別の男性と婚約をしているエディスが見送りに来てくれていた。
「君は素晴らしい。魔術的というくらいに魅力的だよ」
すでに他の男性との約束があることを知ったトールキンは、それ以上のことは言えなかった。
エディスも思いを隠しながらも、トールキンを静かに見送った。
しかし。
背を向けて船に向かっていたトールキンは突然、駆け戻り、同じように振り返っていたエディスを強く抱きしめた。
「愛している!」
思いがあふれ出てきた瞬間だった。
「私もよ!」
エディスも応えた。
二人は抱き合い、長いキスをした。
長いキスの後、時間が迫りトールキンは船に戻る決意をする。
その背に向かってエディスは声をかけた。
「必ず戻ってきて!私の元に!」
長い間の二人の想いが昇華した瞬間だった。
このシーンはかなり心が震えた。
あまり恋愛シーンには心を動かされることがない自分だが、なぜかこの映画の二人の関係には気持ちが入ってしまった。
理由は分からない。
いや、むしろ同じような思いをかつての自分が味わったからかもしれない。
その後の経緯はトールキンとエディスのようなハッピーエンドにはならなかっただけに、忸怩たる思いが自分の中にあって、それを映画という形で昇華させてくれた「心地よさ」がそう感じさせたのかもしれない。
いずれにせよ、感動的な場面だった。
トールキンの人生のように静かに、そして内なる思いを秘めながら・・
そうして戦場に向かったトールキンだったが、そこは想像以上の地獄だった。
塹壕の中に身を潜め、敵軍が放つ火炎放射器や毒ガスから身を守りながら前を進んでいく。
後ろからは忠実な部下が付き添ってきていた。
やがて塹壕熱を発していたトールキンは倒れ、部下に親友の捜索を頼む。
その親友とはジェフリーだった。
やがて発見したとの報が入り、トールキンは塹壕から出て地上を探し回る。
そこでは地獄のような戦場の様子が映し出され、ところどころにトールキンの幻想が入り混じった「魔王」や「恐竜」のシルエットが浮かび上がっていた。
まさにそれが「ホビット」や「ロードオブザリング」で描かれた冥界の王であったり、空飛ぶ魔竜であるように感じた。
結局、ジェフリーを見つけることができないまま、トールキンは意識を失ってしまう。
「旅の仲間の物語」最終章へ
気が付くとトールキンは病院のベッドにいた。
戦場から運ばれてきていたのだ。
目の前にはエディスがいた。
トールキンの手を放さずにじっと見つめていた。
二人は抱き合い、再会を喜んだ。
しかし同時にジェフリーの死を知ってしまう。
仲間だった他の2人、クリストファーは戦死、ロブは精神的な疾患を患っていた。
そこに訪れた神父。
トールキンの後見人である神父は「エディスはずっと君のそばにいたよ。君の目は間違っていなかったんだね」といい、トールキンとエディスの結婚を暗に賛成の意を示していた。
このシーンにも心が染みた。
映画の序盤ではエディスがカトリック信徒でないこと、トールキンがまだ将来も定かでない学生でしかないことを理由に、二人の交際を反対していたが、そのころでも「21歳になっても、気持ちが変わらなければ好きにしなさい」というフェアな条件を出していたのだ。
決してすべてを反対するのではなく、きちんと大人の責任が取れる年齢になるまでは我慢しろと。
そして実際に国のために責務を果たして大人の男になったトールキンを見て、神父はかつての約束を破らずに認めた。
史実ではエディスは熱心なカトリック教徒だったトールキンに説得されて、結婚時にはカトリックに改宗していたということもあり、神父の反応はそれに応じたものなのかもしれない。
それでも男同士の約束と果たすというシーンは、見ていて気持ちの良いものだった。
保護者としての立場と、未成年者という弱い立場の時点で交わされた約束をきちんと守るという点でも。
復員したトールキンはオックスフォード大学の教授となり、かねてより温めていた「物語」の創作に取り掛かることになった。
亡くなったジェフリーの詩集の出版にも協力していた。
時が経ち、トールキンは妻エディスと子供たち、トールキンの弟とその子供らと一緒に、かつての故郷の田園を訪れる。
自分が遊んだ懐かしい森を散策する一行。
やがてトールキンは立ち止まり、子供らに言った。
「物語を聞きたくないかい?」
木々を眺めながら、たどたどしくトールキンが語るストーリー。
後の壮大な冒険物語の始まりだった。
この故郷の森こそ、まさにホビット村の原型なのだ。
ニコラス・ホルトの素晴らしい演技
今回の作品で主演を演じたニコラス・ホルトは意外にも自分の思い出に深く関係している。
というのも、かつてヨーロッパを一人旅しようと計画していた時、英語の勉強のために映画を観たり、洋書を読んだりしているときに出会った印象的な作品の一つが「アバウト・ア・ボーイ」(2002年)だからだ。
この作品では主演をイギリスの二枚目俳優ヒュー・グラントが演じているが、その相手役の子役にニコラス・ホルトが出ていた。
当時はまだおぼこい可愛い子供だなーくらいにしか思っていなかったのだが、内気だけど生意気な口を利く子役時代のホルトが妙に印象的だった。
作品そのものも、アクションとかサスペンスでなく、遺産で金はあるけど仕事をしていない二枚目ダメ男が、母子家庭とのかかわりあいを通じて人生をやり直していくという、コメディタッチながら心がホロッとするヒューマンドラマで、この内容も心に残る理由の一つだったと思う。
それからはホルトの顔も名前も観ることなく、10数年が経ったが、たまたまレンタルビデオ屋で見つけた「ウォーム・ボディ」で恋するゾンビ役を演じていたホルトを見たこと、マッドマックスでクレイジーな白塗り男を演じていたこともあって、再びホルトの姿が我が映画レビュアラーとしての視界に入ってきていた(この容姿の激変ぶりよ!)
⇒【マッド・マックス:怒りのデスロード】ハードロックによく合う映画!マックス復活に心震えた!(Mad Max "Fury Road" )
そして今作。
久しぶりにまともな配役でホルトを観ることになり、相変わらず「きれいな目」でトールキンを演じていたことにすごく感動した。
描かれたのが現代ではなく、1800年代から1900年代初頭の伝統的な価値観が残る英国だった、というのも目や心に突き刺さる理由の一つだったのかもしれない。
この当時はそれまでの美しい田舎の田園風景が、産業革命の余波で失われていく時代であり、都市部では工場労働者が資本家によって劣悪な環境のもとで労働を強いられている不幸な時代でもあった。
そして2度にわたる世界大戦。
その一度目の衝撃がトールキンを巻き込み、彼の人生を大きく変えていった。
そんな変革期の「物語の作り手」を演じたホルトの存在感は、おそらく現代の軽いタッチの作風よりも、この当時のクラシカルな空気感のほうが似合っているのだと思う。
その大きな要因が「ピュアな目」だ。
レビュー中に何度も書いたが、とにかく彼の「目」と「表情」が気にいった。
決して大げさでなく、むしろ少し「はにかむ」様な抑えた演技。
じっと相手や物事を見つめるまなざしには、そこに虚飾や誇張を含まずに、ただありのままに思いや事実を映し出す「純粋さ」を感じ取ることができた。
この眼差しはかつて見た「アバウト・ア・ボーイ」のマーカス(ホルト)そのものじゃないか?
繊細でピュアで、それでいて意思の強さを感じる目。
そんな風にも感じたのだ。
だから今作でも簡単に物語に入り込むことができた。
それほど大作ではないし、トールキンを知らない人には興味を持たれにくい作品だと思う。
だけど、この映画で私が感じた「大切な存在へのまっすぐな気持ち」は本物で、それはリアルに激動の時代を生き抜いた実在の偉大なる小説家の実人生と、それを演じきった現代の若者のピュアで繊細なまなざしが見事に証明していると思う。
まとめ
久しぶりに映画を観て「心に染みたなあ」と感じた作品だった。
題材が自分の好きな指輪物語の作者であることも大きく影響していると思う。
加えて今と比べて素朴でシンプルだった価値観や時代の風景。
同じような感覚は「ミス・ポター」(2007年)でも感じただけに、単に自分の好きな時代設定や景観が英国の田園風景に代表されるものにあるのかもしれないなとも思う。
⇒【ミス・ポター】ピーターラビットの誕生物語!英国の美しい田園風景に心癒された! (Miss Potter)
この映画を観て再びホビットやロード・オブ・ザ・リングを鑑賞し直すと、また別の感覚が得られるかもしれない。
トールキンの原作や映画に影響を受けた人なら、激おすすめの作品です。
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