アマゾンプライムで視聴したゾンビ映画です。
1973年に公開ということで、私が生まれる前の作品ということ。
ゾンビ映画の元祖であるジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が1968年公開だったことを考えると、そこからにインスパイアもあるのかなと。
というかですね・・・
全般的に「意味不明」だったんですよ、今回の記事タイトル通りに。
ある町に父親を捜しに来た娘が街の人と出会い、話したり過ごしたりしているうちに、どうやらこの町はゾンビに侵された街であることを知り、最後は街の人から逃げるけれども摑まって、なぜか最後は精神病院にいるという結末。
まさに「なんじゃこりゃ?」という流れですよね。
後でウィキペディアを見てみると「なるほどな」と納得した部分もありましたが、前情報なしに映画だけ見ると、なんのことかさっぱり分からないまま映画はエンディングを迎える、というオチになってしまいますがな、これが。
とはいえ、今回はそれをあえてレビューしようということですから、そこに何かしらの意味を感じたのでしょう、私の映画魂は。
ということでですね、ウィキ解説にサポートしてもらいながら、映画で感じたあれこれを紹介していきたいと思いますよ。
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「メサイア・オブ・デッド」のあらすじ
ウィキペディア英語版からの抜粋です。
・アルレッティという若い女性が疎遠になっていた父親を訪ねるため、海岸の町ポイン デュムに向かう。
・父親の家が廃墟となっており、彼の残した日記に「町の闇」や「悪夢」について書かれていた。
・父親はアルレッティに自分を探さないよう懇願し、アートギャラリーのオーナーに相談するよう促す。
・ギャラリーのオーナーは、父親の絵を持っておらず、父親についてもほとんど覚えていないと告げる。
・アルレッティはポルトガル系アメリカ人のトムと彼の仲間、トニとローラに会う。
・トムは地元の変わり者チャーリーにインタビューし、彼は「血の月」や「暗い異邦人」について語る。
・チャーリーは「暗い異邦人」が再び現れ、町が悪に侵略されると予言するが、直後に殺害される。
・トムたちはホテルを追い出され、アルレッティの父親の家に泊まる。
・アルレッティは父親の日記を読み、彼の奇妙な病気と「待つ」儀式について知る。
・ローラは地元のスーパーで異常な群衆に飲み込まれ、トニも映画館で同じ運命をたどる。
・「血の月」が昇り、町民が変身し、元牧師だった「悪の救世主」が復活する。
・町民が暴動を起こし、警官たちが鎮圧しようとするが、逆に警官が町民に捕らえられ食われる。
・アルレッティの父親が彼女に町を出て、世間に知らせるよう頼むが、彼女は父親を刺して焼き殺す。
・トムが戻ると、アルレッティは半狂乱の状態で、体内から虫を吐き出す。
・2人は浜辺に逃げるが、トムは溺死し、アルレッティは町民に捕らえられる。
・アルレッティは殺される代わりに、宗教運動を広める条件で解放され、精神病院に閉じ込められる。
・彼女は太陽の下で絵を描きながら、救世主と信者が迎えに来る日を恐れている。
いや~この英語版解説は助かりました。
これがなければ、いくつかの私の解釈が間違っていることになっていたから。
この映画の予告編にも出てきている「スーパーマーケットでゾンビに襲われる」シーンですが、このときに襲われる女性がヒロインの女性だと勘違いしていたのがその最大の一つなんですよ。
この女性は貴族のトムのパートナーだったんですよね。
ヒロインだと勘違いしていたので、「なんでゾンビに襲われたのに、後で普通に出てきてるの?」と。
そこからまったく意味不明な流れに感じてしまって「ん?ん?」という間に最後に至ってしまうことになりましから。
そもそも序盤の途中からあまりにも描写がダラダラしていたので、早送りで飛ばしていたのも大きい。
プロットを追うのが雑になってしまいましたし、スーパーの女もヒロインだと勘違いしてしまったという流れ・・・
ウィキ英語版あらすじ様様ですね。
ということで、次に作品鑑賞で感じたポイント5つと、その詳細を挙げていくとしましょう。
【その1】意味不明な描写が多すぎる
父親が残した日記の文章がやたらとポエティックで意味不明なのが第一。
まあこれはヒロインの父親が芸術家ということで許される点だと思います。
許せないのが、トムの家で語るホームレス風の男の物語。
ヒロインが父親の軌跡をたどってトムの家にたどり着くのですが、そこで繰り広げられていたのが、謎のホームレス男による「血と月の話」。
酔っぱらいの与太話にしてはポエティックで腹が立つのですが、それ以上にそれを許して聞き続けているトムの行動も意味不明すぎます。
そもそもが父親のアート作品を扱う店で、父の作品のことを知っていると教えられてきたトム(そう理解してます。たぶん)が滞在するモーテルの部屋に来たはずなのですが、ヒロインがドアをノックして出てきたのが、このホームレス親父という謎対応。
続けて部屋に入ると、グルーピーに囲まれたトムが「ドアを閉めろ」と言って閉めさせ、誰かに聞かれたらまずい話でもあるのかと思って緊張していたら、謎のホームレス親父の与太橋を真剣に聞き入っているという・・・
ヒロインの存在は無視するのかよ?と。
しかも親父の話はしょーもなさすぎるぞ!と。
最後は褒美としてワインの瓶をプレゼントするのですが、金じゃなくてワインかよけち臭いな!とも思っちゃいました。
まあ結局はこのおっさんも逝ってしまうのですが。
あとはガソリンスタンドに来た金髪の変なおっさんですかね。
序盤のガソリンスタンドで初登場して、謎の雰囲気のまま突っ立っているだけでしたし、中盤で再登場した時も変な集団を載せた車を運転していて、スーパーで襲われることになる女性を載せてやって、そこで「ねずみ食う?」とバリボリ食ったり、終盤近くで映画館の中の一人にいたりと、意外にキーパーソン的な役をこなしているのですが、全然映画のコアの部分には関係ないという、このへんてこな存在感も意味不明の度が過ぎました。
主犯格風の風貌をもつこのおっさんこそが、映画のワルボスとして最後まで君臨して欲しかったんですがねえ。
【その2】白塗りゾンビが意外に怖かった
映画に出てくるゾンビは基本的に
・白粉をぬってるだけ
・目の周りを青くしてるだけ
なのですが、これが意外に怖いんです。
ロメロ監督やその後のゾンビ映画のように、いかにも「ゾンビ」な見た目をしていなくて、どちらかといえば「病人」的なのですが、それが逆にリアリティを増しているというか・・・
見た目以上に怖かったのが、スーパーで女性を襲う時に皆で走って来るシーン。
普通の人間のスピードで襲ってくるので、リアルな犯罪者に追いかけられるような生臭い怖さがありました。
大きいスーパーで商品の陳列棚ごとに走って来る描写も、今の日本によくあるイオン系スーパーのそれとイメージが重なるので、より想像しやすかったなと思います。
映画館のゾンビも同じくリアリティがありましたね。
どちらも
・獲物となる人間を見定めるまで、こちらに向かってこない
・獲物の人間を襲うべきタイミングを見計らい、一斉に襲う
このあたりも恐怖を感じるにふさわしいかと。
普通のゾンビは惰性で人間をみると「ガオーッ」と襲ってくるのですが、この映画のゾンビは集団としての「意志」を感じる点。
そこがなかなかにゾクッとする怖さだったかなと感じます。
【その3】アートショップの女主人が怖すぎ
ヒロインが父親の軌跡を追って作品を扱うアートショップに赴くのですが、そこの女主人がとりあえず怖かった。
目が見えない視覚障害者の役柄なのですが、声を出さずにスタッフに耳打ちする仕草や、それを聞いたスタッフがヒロインに女主人の言うことを伝えている横で、妙な角度に体を曲げて、苦悶に近い表情で突っ立っている描写に狂気を感じたという。
このシーンを見て彷彿させられたのは、溝口正史原作の金田一耕助シリーズの映画版に出てくる謎のおばあ達。
シリーズ中に幾度となく出てくるおばあさんがいるのですが、彼女らの表情や仕草に女主人のそれを重ね合わせてしまいました。
狂気をはらんだ表情や動き、それでいて物語にはまったく関係のない意味不明さ。
監督がそういった演出をする意図がつかめないところに、そこはかとない不気味さを感じてしまうのは私だけでしょうか?
【その3】70年当時のアメリカの街の風景やファッションを楽しめた
映画で描写されるアメリカの普通の街の風景。
ガソリンスタンドやスーパーマーケット、モーテル、繁華街の風景・・・
70年代のいかにもなアメリカ建築や看板がいい味出してます。
一部は今の日本の郊外にもありそうな町の佇まいにも、懐かしさを感じてしまいました。
当時のガソリンスタンドでカードが使えるというのも、アメリカ文明のモダンさを感じ取れます。
とくに良かったのがスーパー。
先ほど述べたように、イオン系のスーパーとそっくりなんですよね。
大型で陳列棚も長くて、冷凍棚も充実していて・・・
自分が良くいくスーパーを想像しながら、ゾンビのシーンを見るのは少し味わい深い物も感じました。
あとはファッションも良かったですかね。
当時の髪型やメイクは全然古臭くなくて、今でも通用するくらい。
ファッションは時代を巡るといいますが、50年経って再び70年代ファッションが現代にも回っているのかもしれませんね。
【その4】直前の流れを端折る描写が多すぎる
映画の随所に出ていたのですが、何かを描写した後に、その意味をじっくりと次につなげるための描写に専念するのではなく、いきなり前のストーリーをぶった切って、それをなかったかのように次に移動するシーンが多く、それがすごく違和感を感じました。
投げやりというか、そこを説明しないと、次に行ったときに意味が分からなくなるよ、というのが多々ありましてな。
だからこそこの映画のレビューで「つながりがない」「いきなり次に移る」というのが多いわけなんですよね。
あるメディアの感想では「予算が足りなくなったがゆえの描写のぶつ切りか?」というのがあって、そこはなるほどなと。
この辺をしっかり繋いでいくと、意外に名作になったかもの映画なんですが、それがなかったがゆえに私のこのブログで「カルト映画」カテゴリーに強制インさせられた要因になったしまうわけですよ。
【その5】エンディングに到る流れが全く意味不明
意味不明な描写が多い本作品の中でも「最大の意味不明さ」を持つのが、貴族であるトムと逃げた後にエンディングに至るシーンです。
街のゾンビに追いかけられて海辺にまで追い詰められたヒロインとトムですが、海の向こうにある船に向かって泳いでいる途中でトムは溺れてしまい、ヒロインは結局ゾンビに捕まってしまうのです。
この「捕まってしまう」くだりも後で回想シーンといてかいつまんで描写しているだけで、ゾンビどもがどうやってヒロインを捕まえたのかは全く端折っています。
ゾンビを流行らせようとする謎の黒服の男の策謀により、ヒロインはあえて生き残らさせられて、街の出来事を周りに話すように仕向けられたことになっていますが、その辺りの説明も全く不十分で、単に、
・頭のおかしい女が精神病院のテラスで一人語りをしている
・今までの話はヒロインの妄想だった
という風に解釈されてもおかしくない流れだったと思います。
最後の最後は映画の冒頭に出てきていた
「光が差し込む病院風の廊下を女がぶつぶつ意味不明なことを話しながら、画面のこちら側に歩いてくる」
に戻っていて、「ああ、こうやって映画の序盤とエンディングを結んでいるわけね。全てはヒロインの回想になるわけね」と。
そんでもって最後は「ギャーッ」と怖そうに叫んで、「観客の恐怖心」を無理やりあおらせようとする、しゃらくさい演出も加わっれおりましてな。
そんなもん、いっこも怖ないわと。
アートショップの女主人のクレージーな見た目のほうが百倍怖いわ、と。
そんなこんなで最後を迎えまして、そういったすべてが「意味不明」という結末に至りました。
まとめ
余計なメークをせずに、白塗りファンデーションだけで襲ってくるゾンビの描写は良かったと思います。
人を襲うシーンはあえてグロテスクな部分を見せずに済ませるのも、全体的なアートっぽい雰囲気には合っていて悪くはなかったかなと。
自分の中では古谷一行の「金田一耕一シリーズ」路線にかなり近いものを感じました。
腹が立つのはトムの部屋で滔々と夢物語を語るホームレス風のおっさん。
あれはいけません。
街ではびこるだろうゾンビの流行を示唆させている演出だと思うのですが、ああいったものは小汚いおっさんに語らせるよりは、ヒロインのような美女に語らせるのが常道というものです。
あのシーンで「この映画は早回しやな」と決定しましたから。
人間は見た目が大事。
映画も同じだということを序盤早々に感じた次第であります。
ということで、ちょっとカルトでちょっと怖い、意味不明な怖さのあるゾンビ映画を楽しみたいのであれば、ぜひ暇つぶしにどうぞ。
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