監督はもちろん、あのジョージ・A・ロメロ。
20年ぶりの本家本元ゾンビ親父が炸裂します。
ゾンビ映画ファンの自分としては「これは観に行かねばならん!」となったわけですが、その結果やいかに?
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ランド・オブ・ザ・デッドの感想
一言でいって「まずまず」の内容でした。
スーッと見れるというのか、ソツがないっていうのか、なんかあっさりした出来でした。
ゾンビの描き方も俳優の演技もなかなか良かったし、設定も悪くなかったと思う。
しかし見終わった後、「ゾンビ」「死霊のえじき」を見たときほどのカタルシスは感じなかったのはなぜでしょうか?
これって「バタリアン」 見たときの方がまだドキドキしたんじゃ・・・・
なんて思ったらロメロ先生に失礼すぎるでしょうか?!
その理由を鑑賞後によ~く考えてみると、
主役とその周辺のノリが、ヒーローもんぽい
ということが、一番の要因かと思います。
昨今のアクション・ホラー映画の定番を行くようなストーリー展開に、アンチヒーロー、市民から見たホラーを語ろう平成ゾンビの会代表の私にとっては、少々きついものがあった、ということ。
でもご心配なく。
映画は充分面白いです。
ロメロ監督の十八番である「哲学的な憂い」はこの映画でも健在です。
ただの人食いホラーに終わらせないだけの「何か」は、相変わらず今作品にも流れています。
俳優に関して言えば、個人的に好きになったのが、ヒロイン的存在のアーシア・アルジェント。
「フェノミナ」で有名なイタリアンホラーの鬼才、ダリオ・アルジェント監督の娘さんらしく、少し病的な感じがなかなかセクシーでエクセレントでした。
この人のパンキッシュなキャラとワイルドな美しさが、武骨な男どもの映画に華やかさと明るさを添えてたといっても過言じゃないと思いますね。
あらすじ
ゾンビが蔓延する世界で権力者が傭兵を使って街を要塞化し、その区画を富裕層、貧困層と分けています。
その様子はあたかも現代のビバリーヒルズのようで、資本主義がいきすぎた現代アメリカの病巣を、ロメロ監督はデニス・ホッパー演じる権力者が支配する街を描くことで風刺しているのでしょう。
やがて権力者に取り入ろうとす傭兵と、街を出ようと試みる傭兵の二手に分かれて、戦いの火の手は切って下ろされます。
様々な争いが街を巻き込み、やがて知能を持ったゾンビが街に向かって進軍を開始。
街の中、街の外で凄まじい戦いが繰り広げられていくのでした・・・・
物語のコアは、街を出ようとする傭兵隊長と彼についてきた娼婦役のアーシア、デニス演じる街を牛耳る権力者と彼に取り入る傭兵のチョロ、そしてゾンビを率いて街を目指す知能を持った黒人ゾンビ。
ロメロ監督のゾンビ作品では、常に黒人が重要な役柄を演じてきましたが、それまではすべて人間でした、しかし今回はゾンビという役柄で黒人は登場します。
しかしこの黒人ゾンビはいたずらに人間を襲うというよりも、同胞を虐殺する人間に復讐するというスタンスで、ゾンビを率いるリーダーと化すのです。
知恵を持ったゾンビと、最後に生き残った人間たちのその後。
ラストはなかなか哀愁漂うものがありました。
街を去る人間と街を去るゾンビたち。
黒人ゾンビの目には、空に舞い上がる花火の華々しさはどう映ったのでしょうか・・・・
まとめ
ロメロ氏はこの後も、「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」「サバイバル・オブ・ザ・デッド」と立て続けに作品を発表しますが、どれもパッとしませんでした。
往年の”デッド”シリーズの締めは、この「ランド~」で決まりだと確信していますが、如何でしょう?
追記(2016年11月)
11年経ってもロメロ監督は「デッド」シリーズの正当な後継作品を世に送り出していません。
たぶん何度もプランは立ち上がってはいたのでしょうが、アイデアとか資金、人材が集まらなかったのでしょう。
代わりに「ゾンビ・ランド」(2011年)というゾンビコメディが出てきて、「ああ、これからこういうファニーなタイプのゾンビものがこれから主流になっていくのだろうなあ」と笑いながら見て確信しました。
でももう一度見てみたいですね、ロメロ氏の渾身の一撃を。
「風たちぬ」(2013年)で引退したはずの宮崎駿さんも最後の一花を咲かせるようなことを、この前のNHKスペシャル(日曜午後9時)で言ってましたから。(78歳で!)
だからロメロさんも大丈夫です。
どうか最後の一花を。
そして撮影しながら倒れてください。
そしてゾンビとなって監督を続けてください。
一ファンの勝手な願いです。(たぶんスルーだ!)
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