2020年に47年間の歴史に終止符が打たれる・・・
伝説のバンドKISSがついにその活動を休止することになった。
今回は最後の来日公演の情報とバンドにまつわる話を紹介していきたいと思う。
*2022年に再来日することになったので、ライブ情報は最新版のものを紹介しておきます
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KISSが活動を休止する理由とは?
1973年にメジャーデビュー以来、数十年間の長きに渡って数々の修羅場を潜り抜けてきたロックモンスターがまた一つ、その動きを止めることになった。
ニューヨークで誕生したバンドは、そのおどろおどろしいメイクとド派手な衣装に似つかわしくないストレートロック、地道なライブ活動が人気を博し、デビュー後から2年後に大ブレイク、一躍スターダムに駆け上った。
以来、今日(2019年)まで46年間、バンドメンバーの移り変わりを経ながらも、ポール・スタンレーとシーン・シモンズの二人を支柱にステージ上を所狭しと駆け回ってきた。
アルバム総数は36枚(スタジオアルバム21枚、ライブアルバム6枚、ベストアルバム9枚)、アルバム総売り上げは1億1000万枚以上、デビッド・ボウイばりのペルソナ設定メイクが6種類という、まさに堂々たるモンスター&キャラクターバンドの雄である。
そんな伝説のバンドも寄る年波には勝てず。
これまで何度も解散や主要メンバーの脱退の噂が立っていたが、それはメンバー間の不仲であったり、方向性の違いが主な原因と思われた。
しかし今回の活動休止には加齢とそれに伴うステージングや演奏、ボーカルの一定以上のレベルの維持の難しさがあると濃厚に想う。
それがよく出ているのが、ポール・スタンレーによる以下のインタビュー記事だ。
「あれから19年バンドをやってきて、これまでこれほどいい状態、ハッピーな状況だったことはない。だけど、そういうのを全部勘定に入れても、そろそろ潮時を考える時期なのさ」
「時間が経つにつれて、自分の限界が分かってくる。知り合いのシンガーが仲間内で話をするとき、開口一番『なぁ、最近つらくないか?』って話になる」
前半がバンドの進退、後半が自身の声の状態について述べたものだ。
66歳というのは、もはや立派な「爺さん」の域だ。
最近では昔に比べて年齢の幅が広がっている感じがするけども、それでも60は還暦。
それを越えるともう最前線の現役ではなかなか難しくなる。
それもあのメイクとステージとなるとではだ。
そしてもう一人のコアメンバーであるジーン・シモンズはというと、こちらはもう普通に「お爺さん」の年齢に達していて、それに見合うだけの病気もかかっておられるのだ。
「ソルトレイク・シティのファンへ謝罪する。俺ら、後日、戻り公演を開く。真相は治療のため、俺はLAに飛ばなきゃならない。」
キッス、ジーン・シモンズに治療が必要なため、北米公演を延期 / BARKS(2019年9月)
シモンズの奥さんは、ツイッターで画像付きで、「秘密が漏れたわね。これは、大きな腎臓結石を取り除くため3回あるうちの2つ目の処置よ」と伝えた。
最後の記事はツイートでもアップしたのだが、あれだけの巨体(身長185㎝)と舌の長さ、他のメンバーを圧倒する恐竜感溢れるコスチュームとメイクをしておきながら、腎臓結石っておい!と突っ込んだものだけど、よく考えたらジーン・シモンズという男は今年で70歳を迎える立派な「ジジイ」なのである(私の父親と変わらない年齢である)
まあ普通にしんどいわな、と。
かたや60後半で、かたや70越えの後期高齢者にとって、ただのステージングだけでなくKISSメイクと衣装の体への圧迫感は相当なものがあるに違いない。
なのでKISSの活動休止の理由はどう見ても「老後のリタイア」そのものだ。
お金も十分稼いだし、名声も申し分なし。
あとはゆっくりと体を休めながら、奥さんや孫と楽しく過ごすのがベストなんじゃないだろうか?
KISS最後の来日コンサート
前回(2019年)の日本公演で最後になったかと思われていたKISSの来日が、もう一夜叶えられることになった!
時期は2022年11月30日。
場所は東京ドームだ。
情報元になった記事から、興味深い文章を引用してみようと思う。
彼らが匂わせていたのは日本再上陸の可能性だった。しかも彼らの発言の端々には「日本に行きたい」というシンプルな願望ではなく「もう一度行かねばならない」といった使命感に近いニュアンスが感じられたものだ。
2019年末のジャパン・ツアーは、パンデミック発生の時期を踏まえれば“滑り込みセーフ”のような時期に実現したわけだが、その後の不安定な時期を経ていく中で、KISSがいかに求められているか、人々が健全な生活を送るうえでエンターテインメントがどれほど不可欠なものであるかを、彼ら自身も改めて実感してきたに違いない。
そこで、1977年以来の深い所縁があり、アメリカ以外で最初にKISSを認めた国ともいえる日本を今一度訪れたい、この国のファンともう一度向き合いたいという動機が高まることになるのは、ごく自然なことともいえるだろう。
2022年11月、KISSが改めて日本のオーディエンスに「サヨナラ」を告げにやって来る。再会の場所として選ばれたのは東京ドームであり、彼らにとっては同会場での史上5回目の公演ということになる。
1973年にデビューして以来、数々の伝説を残してきた稀代のロックンロールバンド。
歌舞伎やゴジラをモチーフにしたようなコスチュームとメイクが、日本との縁を感じさせてくれるのも何やら嬉しい。
生きる伝説と化したバンドの終焉を、もう一度日本の地で見ることができるのはファンにとっても至極の喜びだろう。
私は行くことができないが、ファンの方はぜひ最後のキッスを楽しんで欲しいと思う。
KISSの思い出話
最後になるが、私とKISSとの思い出を軽く紹介しておこうと思う。
もちろんバンドと直接会ったとか、関係者と知り合いになったとかのそういうダイレクトな思い出ではない。
あくまで遠く離れた一音楽ファンとしての思い出だ。
あれは今から20年前の話。
ちょうど友人らと趣味でバンド活動をしていた時の頃だ。
ギターとベースができる友人とともに、最初は遊びで参加してスタジオを借りて色んなバンドのカバーをしていた。
当初は私はドラム担当で、未経験だけど知り合いのドラマーに叩き方の基本を教えてもらって、ずっと同じリズムでズンドコやっていた(というか、それ以外は分からなかった)
ボーカルがいないのであくまで演奏のみ。
それも飽きてきて、しまいには「お前がボーカルやれよ」という話になった。
人前で歌なんかカラオケでしたやったことがなかったのだけど、そういうのが案外嫌いじゃなかったので了承し、色んなアーティストのカバーソングを歌うことになった。
当時の自分たちは洋楽のロック専門で、特にローリングストーンズなんかは大好きでよく演奏した。
自分の声的にもミックの歌はよく合ったし(歌いやすいという意味で)、「ブラウンシュガー」なんかは後にライブをするようになったときでも、一番のお得意なナンバーになったものだ。
そんなときにギタリストに勧められたのが「ストラッター」。
キッスの曲だった。
キッスは知ってたけれど、そんなにファンというほどではなかった。
だけど、バンドが演奏を練習し始め、私も曲を聞いて歌を覚えていると不思議と「これいいな」と感じるようになった。
ストレートでシンプルなロック。
70年代という感じのタイプだ。
当時の自分たちがハマっていた曲そのものだった。
幸い歌のチューンも自分のそれに合っていて、バンドの演奏ともうまくハマるようになった。
これも後のライブで歌った曲の一つになり、歌の世界観にも入り込むことができた。
キッスの曲はこれ以外にも色々歌ったのだが、一番この曲が自分たちのリズムや雰囲気に合っていたと思う。
今聞いても懐かしく感じる思い出の曲だ。
なので今でもキッスといえば「ストラッター」。
青春時代の熱い感情の迸りを表現してくれるのが、キッスというバンドなのだ!
バンドの思い出と楽器の情報まとめ
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まとめ
キッス最後の来日公演情報と思い出話を語らせてもらった。
自分が生まれる前から活動していたバンドなのだから、いわば「親世代」のアーティスト。
それが活動休止を決めたとはいえ、現在進行形で世界中の人々に受け入れられてステージに立ち続けている姿はまさに「熱い」の一言に尽きる。
自分はもうバンドも歌もやっていないけども、ひとときの間だけでも彼らの曲をカバーできたことを嬉しく思う。
最後の来日公演ではぜひ熱いライブを見せて欲しい。
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