1987年にリリースされた、自身の名前をつけたデビューアルバム「ロビー・ネビル」からのヒットシングル。
妙に耳の残るまったりとした、それでいて官能的なこの曲「セ・ラ・ヴィ」は、当時よく聞いていたAMラジオの洋楽ヒットチャート番組で聞いたのが初めてだ。
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ロビー・ネヴィルとは?
ビデオクリップも独特で、東洋風の女性が出てきた感じなんかも、それまでの洋楽アーテイストっぽくなくて新鮮だった。
なんというか、カリブ海とかタヒチをイメージさせる雰囲気というか・・・タイトルがフランス語だから、余計そういう印象を受けたのかもしれないけど。
彼の音楽キャリアを簡単に紹介しよう。
1958年にロスアンゼルスで生まれたネビルは、幼少のころから音楽に親しみ、様々なバンドのカバーを演奏したりもしていた。やがて自身のオリジナル曲を演奏し始めると、それをきっかけにプロの道に進むことに。
しばらくは有名アーティストに楽曲を提供していたが、86年にマンハッタンレコードと契約して、デビューアルバムをリリース、「セラヴィ」がシングルとして全米ビルボードチャート2位を記録。
アルバムもその勢いを駆って、全米ポップチャート、R&Bチャートでトップ40内に入る躍進を果たした。
同アルバムからのセカンドシングル「ドミノ」もビルボードチャート14位、続くサードシングル「Wot's It To Ya」も10位を記録するなど、まさに時代の寵児となった。
しかしセカンドアルバム「A Place Like This」(1988)、「Day 1」(1991)のセールスは思ったように振るわず、「Day 1」を最後に、ネビルは再びアーティストに楽曲を提供する仕事に専念するようになる。
その仕事は幅広く、ベイビーフェイスやジェシカ・シンプソン、ディスティニー・チャイルドから、果ては松田聖子まで曲を提供していたというから驚きだ。
2006年にマシュー・ジェラルドと組んでアルバム「サマーガールズ」を製作。ジェラルドはディズニーのために楽曲を提供していたことから、その後ネビルと彼はともにディズニーのプロジェクトに参加していくことになる。
ソロアーティストとしての表舞台から降りたネビルのその後は、完全にショービジネス界の裏方の仕事に徹しているようである。
もともとの出自が楽曲を提供することから始まったわけだし、表の世界で成功し続けることの困難さは、その世界に長く身を置いた彼なら十分に分かっていただろうから、いさぎよく身を引いたというわけだろう。
よく引退した俳優や芸能人がその後どうしているか?という番組を見ることがあるが、そのほとんどはかつてのイケメンぶりや美しさが朝露のごとく消え去って、見るも無残な〇〇〇となっていることがよくある。(〇の部分は各自ご想像にお任せします)
ネビルの場合もその例にもれず、というか、若い頃のいかにも女たらしなニヤけた風貌にさらに加速をかけて、以下のようになっている。
どうだろうか?
違いがはっきりとくっきりとお分かりいただけただろうか?
そう。
ネビルのその後は、なまはんかな「その後・・・」ではなく、「あれれ?」に近いものがあり、むしろスターウォーズに出てくる暗黒皇帝のそれに非常にクリソツなのではという疑惑すら生むのである。
人前に出なくなった俳優や歌手ほど、「ある意味」恐ろしいものはないのである。
垂れ下がった頬の肉を見て、「ロスで住んでるセレブの生活は毎日パーティー三昧でよろしいなあ!」とほんのりジェラシーなのである。
すっかり力を失った表面張力と同時に、才能も枯渇していないことを心から祈りたい。
男前が復活したネヴィル
比較写真は2008年ごろのもののようで、最近のオフィシャルサイトを見ると、ずいぶんスリムになってさわやかなルックスに戻っておられます。
崩れ気味の顔になってたのは病気か何か患ってたんじゃないかなと思いますね。
薬の影響で顔がむくんでたのかもしれません。
いずれにせよ、かつての男前以上の復活乾杯!です。