ルーマニアの音楽集団、ハイドゥークスの「マスカラーダ」(2007年)からの一曲。
つかみの曲なので、インパクトはなかなかのもの。
アルバム収録のどの曲も、クラッシックの名曲をジプシー風に味付けしたのだが、どれも原曲以上のワイルドな出来に仕上がっている。
西洋音楽にはない音調というか、リズムというか、僕にとって未知に等しい、東欧音楽の雰囲気を知るにはちょうどよいアルバムだった。
ルーマニア出身の彼らだが、歴史的にも東ヨーロッパはトルコのオスマン帝国に治められていたので、中東音楽の影響が強い感覚を受ける。
こちらも未知の領域なので、次はアラビア音楽に足を伸ばしてみるのもいいかも知れない。
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バンドの歴史と紹介
英語版のwikiで彼らのプロフィールの詳細があったので、紹介しておきます。
もともとは共産圏だったルーマニアで、国家お雇いの楽団として、ルーマニアポピュラー音楽を演奏していたのが現タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのメンバーだった。
彼らが生まれ育ったルーマニアのClejani地方は、古くから優れた音楽家を輩出した地域として知られており、バンドメンバーの彼らもこうした空気の中で音楽に親しんで育った。
彼らが西側でデビューを果たしたのは、スイスの民族音楽学者とベルギーのミュージシャンが楽団のファンだったことがきっかけである。
ファンが高じて後にマネージャーとまでなった彼らは、やがてバンドの名前を現在の「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」に変名することになる。
1991年にデビューアルバムをリリース以降、彼らは様々な楽器を操る多重音声楽団として、その名を世界に轟かせた。
精力的にワールドツアーを行い、CDやDVDも多く発表、後にクロノス・カルテットやジョニー・デップ、山本 耀司氏ら各界の著名人とも交流を深めることになる。
デップは自身の作品「耳に残るは君の歌声」(原題:The Man Who Cried)にバンドを出演させ、ファッション・デザイナーである山本氏は、パリと東京のファッションショーにバンドをモデルとして招待した。
世界的な著名人との交流をよそに、バンドメンバーはそうしたことによる影響を全く受けず、ずっと自分たちの生活スタイルを維持してきているという。(現在もルーマニアに居住)
まとめ
スタイルを守り続けるところに骨太さを感じる。
デップが映画出演を依頼したのも、彼らの精神の気高さに感じ入ったからじゃないかな。
高齢の方も多いようなので、どうか体に気を付けて、いつまでも素晴らしい音楽を演奏し続けてほしいと思う。