先週土曜日の映画の日に観に行ってきました。
メル・ギブソンが監督した戦争映画になります。
メル・ギブソンといえば、「マッド・マックス」「リーサル・ウェポン」シリーズで世界的に有名になった男前俳優ですが、監督業もなかなかのもので、「ブレイブ・ハート」(1995)、「パッション」(2004)、「アポカリフト」(2006)ではそれぞれ非常に高い評価を得ています。(アカデミー賞受賞など)
この中でも「ブレイブ・ハート」と「アポカリプト」は観に行きましたが、どちらも評判通りの非常に見ごたえのある熱い映画でしたね。
メルといえば、無口だけど熱いハートを持った不器用な演技が魅力だと思うのですが、監督業でもその熱さや誠実さが生かされているのだと感じます。
そんなメル・ギブソンが監督を担当するのだから、面白くないはずがない、しかも題材が太平洋戦争末期の沖縄戦ときたら、当時、現地で戦っていた日本兵と同じ日本人としては観に行かずにおられないし、衛生兵として銃を持たずに人を救う主人公というテーマ設定もなんだか引き付けられたので、今回劇場に足を運ぶことを決めたのです。
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ハクソーリッジのあらすじと感想
あらすじ
ヴァージニア州の田舎で育ったデズモンド・ドスは、兄とともに緑豊かな山々に囲まれて元気に育っていた。
父親は第一次大戦で心の傷を負っており、毎日母親との喧嘩が絶えなかった。
ある日、ドスは教会でケガをした仲間を運んだ病院で一人の看護婦を見て、一目で恋に落ちる。
その彼女にアプローチする中、病院に訪れる兵士の姿を見て心期するものがあった。
時代は第二次世界大戦真っ只中。
日本がアメリカの真珠湾を攻撃して以来、すでに多くの若者が日本との戦いに赴いていたのだ。
「自分も国のために戦いたい」
家族や婚約者となった看護婦の恋人の反対を押し切って、ドスは入隊し、新兵として訓練を受けることになった。
しかし問題があった。
ドスは自身の信仰の問題として「人を殺さない」ことを固く誓っていたのだ。
しかし部隊では敵を倒すため、仲間や自分を守るために、銃を持って戦うことは当然とされていて、ドスの「銃を持たずに戦場で人を救う」というポリシーは理解されなかった。
やがてドスは厄介者となり、部隊から追い出されそうになるが、ギリギリのところで、父親の伝手で軍幹部の耳に入ることになり、ドスは「良心的兵役協力者」として、衛生兵の立場で沖縄戦に赴くことが認められたのだった。
部隊が到着した沖縄の戦場では、日本軍が陣取る崖の上の陣地にめがけ、米軍が何度となく攻撃を仕掛けたが、ことごとく失敗していた。
その名は「ハクソーリッジ」。
日本語の意味は「弓のこぎりのような崖」で、前田高地と呼ばれる実在の場所にある崖のことだった。
ドスの部隊もこの崖を上って攻撃を仕掛けるが、日本軍の徹底的な抗戦に遭い、多くの仲間が倒れていった。
そんな中でドスは傷つき、痛みにあえぐ瀕死の仲間や兵士たちを目の前にして、心に固く誓うのだ。「一人でも多く救おう」と。
味方の米軍が撤退した崖の上でドスはたった一人、傷ついた兵士を救うことを始めたのである・・・
映画の感想
まず何よりも感動したのが、主人公ドスの固い信念です。
たとえ周りがどう言おうと、何をされようと、自分の信じたことを必ず成し遂げようとする意志力には本当に心を動かされましたね。
具体的にいえば、新兵訓練所で厄介者になったドスを追い出そうと、仲間や上官が理不尽な任務や暴力をふるうのだけど、それにまったくめげずに黙々と与えられた任務をこなし、兵士として戦場に行くことを希望し続けるシーンや、赴いた戦場で次々と仲間が死んでいき、自身の命でさえも危うい状況の中で献身的に兵士を助け、あまつさえ敵である日本兵にも助けの手を差し伸べたところなどが、映画を見終わって一週間たった今でも心に残る場面でしょうか。
ドスがここまで「人を救いたい」という信念を持つ理由は、子供のころに兄を危うく死なせそうになったこと(兄弟喧嘩で石で兄貴の頭を叩いて意識不明に陥らせた)、母親に暴力をふるう父親を制した時に、父が持っていた銃を取り上げてその銃口を父親に向けたこと、が直接の原因であるように描かれていました。
もちろんドスは敬虔なキリスト教徒で、兵士になる前も教会で奉仕活動に従事したりと、田舎の普通のアメリカ人家庭にあるように、信仰の道は常に身近にあったことも大きく影響してると思います。
ただ彼は新兵訓練所で部隊付きの医師から「君は神の声を聞くのか?」と尋ねられたときも(銃を持つことを徹底的に拒否するドスを強制除隊させるために、彼を精神的異常者として診断する必要があった)、「いえ、僕は神の声は聴いたりはしません。そんなのは妄想ですから」と言って明確に否定したりすることから分かるように、信仰の道と神との距離感にはごくごく常識的な認識を持つ人物として描かれており、ドスの示す使命感というのは、実に彼自身の中から湧き出てきた”何か”がそうさせたといえると思います。
その”何か”は、製作者や多くのレビュアーが答えているように「子供のころからの家庭環境」が大きく影響してるのでしょう。
この作品は実話を基にしているので、ドスの家庭環境も映画で放映できる範囲でしか描かれていないと思います。
ゆえに彼が固い信念を持つように至ったのは、「兄を死なせそうになったこと」「父親に銃を向けたこと」の二つ、そしてそこに「信仰」が絡まって、彼自身を「使命の人」に駆り立てたのではないでしょうか?
そして最後。
ドスは見事に75人もの仲間や敵兵(日本兵)を崖からおろして救い出し、部隊も翌日に行われた再度の突撃で敵陣地を奪取することに成功するのです。
それまでドスを臆病者と罵っていた部隊長や仲間たちも、己の身を捨てて成しえた勇敢な行為(銃を持っていない!)に敬意を表するのでした。
ただここで一つだけ言わしていただくと、ドスが崖の上の敵陣地攻撃戦で、身一つで銃火飛び交う戦場を動き回れたのも、彼を護衛する部隊の仲間の兵士がいたからこそ。
最初のころはドスを激しく「臆病者」として軽蔑してた兵士達でしたが、次第にドスの示す固い決意を見て心を動かされ、戦場ではドスの護衛を自ら望んだのです。
普通の映画なら、このような主人公に寄り添う人物を簡単には消しはしませんが、この作品ではあくまでリアルさを追求するので、そんな彼らでさえ、あっさり銃撃されて死んでしまうのでした。
映画の中では「プライベート・ライアン」などのように容赦のない戦闘描写が展開し、ちぎれた足や飛び散った内臓など、生々しいシーンをバンバン見せており、ものすごく簡単に隣の兵士が死んでいく描写も簡単に描いていました。
実際の戦場とはヒロイズムも常識も通用しない冷酷な環境。
死んでいくものと生き残るものをわずかに隔てるのは「偶然」や「運」。
決して道徳観や人間性でないのです。
そしてそういう状況だからこそ、ドスの示した「信念」と「それに応じた行動」が強烈に光るのでしょう。
この映画はそういう一人の兵士の勇敢さ、人としての高潔さを描いたものであって、決して国と国が持つ政治的問題を示したものではないと思います。
最後の戦闘のシーンで、アメリカ兵が倒れた向かい合わせに、日本兵が並ぶように倒れてくる描写は、まさにそのことを示しているのではないでしょうか?
「敵も味方もなく、ただただ命を捧げた名も無き兵士こそが真の英雄である」
(ドス本人が生前に語っていた言葉です)
気になった登場人物
もちろん主人公のデズモンド・ドスを演じるアンドリュー・ガーフィールドです。
映画の中でも常に微笑みを絶やさない人柄で、一見軟弱に見えるのだけど、実は一番勇敢だったという芯の強さが雰囲気として良く出ている俳優さんともいえますね。
この「常に微笑んでいる」というキャラが、信仰の道に殉ずる宗教者を演じるのに向いているのか、前作では「沈黙ーサイレンス」という遠藤周作原作の映画で神父を演じていました。
「スパイダーマン」も演じていたというのもあって、優し気なところと頼りなげな雰囲気がイメージに合うような気がします。
そしてもう一人は、ヴィンス・ボーン。
部隊長の命令でドスを追い出しにかかる軍曹の役です。
この人の映画は昔からよく見ていて、コメディアン出身であることから、ベン・スティラーの作品にもよく出演していましたっけ。
コメディ俳優らしい「とぼけた雰囲気」と、それとは反対の「ドスのきいた風貌」「まくし立てるような語り口」のギャップが面白くて、すごく好きでしたね。
今回の作品でもその味わいは変わらずで、むしろもう少しシリアスで人間味があって、最後にドスに助けられて銃をぶっ放ちながら逃げるシーンは、まるで「ドーン・オブ・ザ・デッド」(2005)で地下の下水路でゾンビから逃げる人間コンビの情景とそっくりなところとか(分かる人には分かる!)、個人的にも色んな意味でかなり見ごたえのある配役でした。
最近はあまりメジャー系の作品で見かけませんでしたが、実はハリウッドでは重宝される脇役なのだとか。
脇を固める俳優としての存在感とか、決して派手ではないので主人公を食わないところとかが理由なのか、このへんは日本のマキタスポーツさんとキャラがかぶるような気がしますね(笑)
最後の一人がサム・ワーシントンです。
ドスの部隊長であり、最後にはドスの勇気を認めて、彼の土曜日の礼拝を優先させて部隊の出発を遅らせるほどにまで信頼を寄せるようになります。
この俳優さんをはじめに見たのが、たしかターミネーター4だったでしょうか。
ターミネーターとして人間を処理するのかと思いきや、実は人の心をもった機械で、最後には自己犠牲で人間を救うという心温まる役柄でした。
言葉少なげですが、心に熱いものを持つ。
まさにヒーローにふさわしいキャラの持ち主ですが、実際に「タイタンの戦い」などの神話のヒーローを演じていて、こちらもなかなか見ごたえがありましたね。
今作品でもクールで無口だけど、知性を感じさせる視線を持つ雰囲気が部隊長によく合っていて、粗野ではない、どこか優しさを兼ねた人間像を見事に演じていましたね。
映画の最後には、ドスさんご本人と共に、この部隊長も出演していて、ドスのことを語るときに涙を流していたのが印象的でした。
やはりそれだけドスの行為に心を打たれたのでしょう。(または彼を除隊させようとした判断を後悔してるのか)
ちなみにドスご本人は2006年までご存命だったようで、映画のラストでは、晩年のインタビュー映像が使われていました。(当時の体験について語っておられた)
映画外の情報として、プロデューサーは何度も映画化の話を持って行ったそうなのですが、ドスさんは先ほども触れた言葉「名も無き兵士たちこそが真の英雄だ」との主張を譲らず、自信を英雄化する作品の映画化を拒否し続けたのだとか。
晩年になってようやくこの物語を後世に引き継がねば、との思いで、映画化の話の了解したようですね。
映画と違って実際の風貌はもう少し鋭い感じがありますが、この人が75人もの兵士を素手で崖の下までおろしていたのだと思うと、迫力のようなものを感じます。
この映画で多くの人がドスさんのことを知ったでしょうから、映画を見て感銘を受けた私としては、ご本人おきっと天国で喜んでおられるのだと思いたいですね。
まとめ
久しぶりに感動する映画を見た、というのが、終幕後の印象でした。
前評判をしっかり目を通してから観に行ったのですが、まさにそのとおりで、アクションあり、人間像あり、のメリハリをしっかり利かせたエンタメ映画としても優れたものがあるのではないでしょうか。
生々しい描写が苦手な人は、ちょっと厳しい作品かもしれませんが、ドスの信念や勇敢さがそれによって引き立つので、できればそういう人にも鑑賞してほしいですね。
メル・ギブソンは俳優としても熱い人でしたが、監督でもかなり熱いハートを持った人だということを、この作品でさらに認識が深まったと思います。
日本側にも敬意を見せていて、陣地が落ちたときに、地下壕で司令官らしき人物が責任を取って切腹するシーンを重々しくも丁寧に描いていました。
彼は敬虔なキリスト教徒としてハリウッドでも有名なのですが、クリスチャンの見地で日本軍を描くのではなく、戦地で命のやり取りをする兵士の見地で両者を描いたところに監督の作り手としての良心を見た気がしました。
また映画ファンの溜飲を下げる、重厚で熱い歴史大作を撮ってほしいと思います。
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