ホビット3部作の最終章。
2014年の公開作品で、レビューするには少し遅めの劇場鑑賞レビューになるのだけど、個人的にはかなり熱く感じる場面の多かった作品なので、遅まきながらも1年半ごしに改めて感想などを書いてみようと思う。
と、いいつつ、実はこの最終作は、ファンタジーアクション大作としては、実はあまり語るべきところがないというのが実情だったりする。(!)
見どころはほとんど前作で出ている感があるし、実際に監督も最初は2部作でまとめるつもりだったらしいから、この三作目というのは、かなり継ぎ接ぎした番外編的な要素があるのは否めないのですね。
でも一応次のロード・オブ・ザ・リングにつなげる大事なシーンも多くあるので、決して見ても無駄にはならないから、ぜひ鑑賞いただきたい。
さらにいえば、個人的にはすごく見どころがあった作品だと思うので、そのへんをじっくりと語らせてください。
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物語のはじまり
旅の始まりは、前回のホビットのレビューで書いた通り、村で平和に暮らしていたビルボ・バギンズが、ある日家を訪れたドワーフと魔法使いに巻き込まれる形で旅に出かけるというものである。
平和と宴会を愛するホビットが村を出ることそのものがめったにないのだけど、このバギンズはホビットには珍しく好奇心旺盛で、なおかつ隠れた勇気と度胸をもった”勇士”でもあったわけだ。
ドワーフの旅の目的は、代々暮らしていた山中の王国を竜に奪われたため、それを奪回しに行くことだった。
一方の魔法使い、のちにロードオブザリングシリーズに出てくるガンダルフは、ドワーフの王国の奪回のことよりも、その背後にある闇の勢力の復活について探るために、旅の仲間に加わっているという感じが強い。(このへんは実は私もよくわかっていない)
道中で色々な困難を経験しながらも、旅の仲間はお互いを理解しあいながら、ついに奪われた山の王国にたどり着く。そこで見た竜は巨大で凶悪だったが、知恵と勇気を振り絞って、ついにこれを打倒するに至るのだ。
その過程で出会った人間やエルフの一団と、映画の中盤以降では一戦交えることになるのだから、ドワーフというのはつくづく好戦的な種族だとは思う。
好戦的になった理由はただ一つ。
ドワーフの長であるオーケンシールドが奪い返した先祖代々の財宝に目がくらみ、自分たちの種族だけで独り占めしようとして、人間やエルフと仲たがいしたことによるもの。
財宝を巡ってエルフと人間の連合軍が、ドワーフ立て籠もる山を攻めようとしたそのとき、背後から闇の軍団が襲い掛かる。敵味方入り乱れる中、オーケンシールドはついに目が覚めて、戦いに参じるのだ。
ここからがピータージャクソン監督お得意の戦闘シーンのオンパレードで、かつて見慣れた一大スぺクタルとはいえ、やはり見ごたえはあった。
最後はオーケンシールドが敵の長アゾクと相打ちになって果てることになるのだが、そのときにそばにいたバギンズを認めながら安らかな死の世界に旅立っていくシーンは、なかなか泣かせるものがあった。
「友情っていいなあ」と。
エルフ王スランドゥィルこそが真の主役!
とはいえ、ストーリー展開そのものは「ロード・・」シリーズに比べると、やはり小粒になっているのは否めない。
目的が山の奪還だし、襲い掛かってきたオークの一団も、背後にリアルな闇の帝王が控えているわけでもないから(まだ復活途中なのだ)、加える圧力も中途半端になるわけだ。
映画の流れ的に「おっ」と思わせるところがあるとすれば、のちのロードへの伏線となる魔法使いの長サルマンの不穏な動きと、エルフの王子が北へ向かう最後のシーンか。
あとはラストで、村へ帰るバギンズを見てガンダルフが「指輪を大事にな」と一言くぎを刺したシーンだろう。
それまで指輪はバギンズだけがその存在を知っていて、ときどき使っていたのだが、誰もそのことを知らないと思いきや、実は最後の最後でガンダルフがそこを思い切り指摘したのだ。
「あっ・・・えっ・・・その・・・」
と口ごもりながら指輪を隠すようにして立ち去るバギンズだったが、それを後ろからじっと見つめるガンダルフの眼は、まるで目星をつけた容疑者を見張り続ける古株の刑事のような光を放っていたのでした。(このへんがロード・・のガンダルフと違って、少々切れ者という雰囲気を漂わせている)
そして記事タイトルにも含ませているが、この作品で一番印象に強く残ったのは、エルフの王の振る舞いとその背後にある複雑な過去とトラウマだ。
エルフ王スランドゥイルは猜疑心が強く、他の種族、特にドワーフを信用しない人物として描かれており、3部作でも終始冷たく光る眼で登場人物の人となりを品定めする冷血な人柄として描かれていた。
スランドゥイルの目的は一族の繁栄のみにあり、それ以外のことには関心がない。
ドワーフの山にある財宝のなかの一部の所有権を主張し、さらに今は数も力のないドワーフに代わって、自分たちが財宝を管理する必要がある(多分)と感じているようにも描かれていた。
王のモットーは「愛は必要ない」ということ。
愛によって人は弱くなる、そんな愛など邪魔以外の何物でもないというのが、スランドゥイルの生き様だったのだ。
スランドゥイルの息子でありエルフの王子であるレゴラスは、そうした父の冷血な信条に基づく行状を苦々しく思っており、さらに自分の母が死んだときのことも、詳しく父から知らされないまま育ってきたためか、父には常に不信感を抱いていた。
レゴラスの部下であるタウリエルも、常日頃から王の無情な命令や指示に不信感を抱いており、ドワーフの仲間の一人と恋に落ちて以来、王の「愛など必要ない」という信念への疑念の思いがさらに深まっていったのだった。
タウリエル
息子や部下のそうした心中を感じながらも、スランドゥイルは信念を決して曲げることなく、自らの思いのままに振る舞い、きたるべき戦いに挑んでいく。
そんな最中、最後に来るオークとの決戦のさなかで、タウリエルは愛したドワーフの一人の死に直面することになる。
愛する人の遺骸の前で泣き崩れるタウリエル。
背後にそっと立ったスランドゥイルの存在に気づき、タウリエルは涙を流しながら訊ねた。
「なぜこんなに悲しいのですか?!なぜこんなに苦しいのですか?こんなにつらいのなら・・・・こんなに悲しいのなら・・・・・愛など知るのではなかった!!」
そう叫ぶタウリエルに、スランドゥイルは慈しみの眼差しを向けてこういった。
「かつて私の愛した女も、戦いの最中に命を落とした。そのときも私も同じことを思ったよ。”二度と愛などいらぬ!”と・・・ゆえにお前の気持ちはよくわかる」
それを聞いて泣き崩れるタウリエル。
しばし彼女を悼むような眼差しを向けながら、やがてスランドゥイルは静かにその場を立ち去って行くのであった。
戦いののちに息子レゴラスと会い、そしてレゴラスの母であり自らの妻であった女性の最期を伝える。
「お前の母さんは勇敢に戦い、亡くなったよ。最後までお前のことを愛していた」
それを聞いてレゴラスは静かに頷く。二人の間に長い間わだかまっていた”何か”が溶けていった瞬間だった。
その後、父の助言で北の国へ向かうことになるのだが、その目的はかつて七つ国を総べる王だったものの子孫と会うこと。もちろん後のアラゴルンのことを指すのだが、それはまた別の話・・・
愛はいらぬ!と涙で叫んだサウザーとスランドゥイルの類似点
このように作品の中で展開されたスランドゥィルとタウリエル、レゴラスらとの一連の会話が心に響いたわけなんだが、個人的には「愛など知るのではなかった!」というタウリエルのフレーズが最も強烈に響いた。
なぜなら、
「愛などいらぬ!」
という、聖帝サウザーのセリフをデジャブ(既視感)のように思い出してしまったからだ。
かつて週刊少年ジャンプ世代の青少年を熱狂させた男の中の男のバイブルとして名高い『北斗の拳』に出てくる独裁者「聖帝サウザー」とは、南斗の使い手の中でも最強とうたわれる男。
サウザーが最強といわれるのは、優れた拳法の使い手としてだけではなく、それ以上に内臓の位置が普通の人間とは逆という特異な体質にその秘密があった。
そんな南斗最強の男サウザーが世紀末に覇を打ち立てるべく、軍団を率いて次々と町を制圧していくのだが、それを阻止せんと主人公ケンシロウが立ち向かった。
しかしケンシロウはサウザーの特異体質の秘密を知らぬまま、戦いに挑んでいく。
技と技がぶつかり合い、必殺の突きを放つも、そのすべてが不発に終わり、あっさりとサウザーの拳に倒れてしまうケンシロウ。
しかし後にサウザー体の秘密を知り、再び戦いを挑んで打ち破ったのである。
ケンシロウの拳に敗れ、自らの終焉を自らの手で迎えんとするサウザー。
奇しくも彼の最後の場所となったのは、自らが住民を苦役で働かせて建造を急いでいた聖帝十字陵だった。
聖帝十字陵とは、聖帝としての支配者の権威の象徴としてはもちろんのこと、かつて自分の師であった人の墓標としても意味があった。
幼かった頃から、サウザーを鍛え、指導してきた師。
孤児だったサウザーにとって師は師以上の存在であり、まさに父のような厳しさと優しさ、温もりを、その身に常に感じていた。
修行の最後の段階を迎え、目隠しをして敵を迎え撃つ実戦訓練が実施されることになったある日。
すでに相当の技量に達していたサウザーは、背後から襲い掛かったきたその男を見事打ち倒し、南斗鳳凰拳の正当継承者としての地位を得たのだった。
「お師匠さん!」
喜びに満ち溢れて目隠しをとったサウザーの前にいたのは、無残に倒れた師の姿だった。
「なっ・・・!」
あまりもの悲しい事実に驚き、涙を流すサウザー。
最も敬愛し、最も慕っていた師を自ら死に導いてしまったのだ。
「新たな伝承者に倒されるのも一子相伝の宿命・・」
後継者となるべき最後の関門。
それこそが、師自らが弟子に命を賭して挑む、南斗聖拳の”最終試験”だった。
サウザーの見事な強さを喜びながら、師はついに息絶えた。
「お師さん!!!」
もとより優しい性格だったサウザーは、たとえ知らずとはいえ、自ら父と慕う師に手をかけてしまったことに深く傷つき、計り知れない悲しみを心の底に宿してしまった。
そしてそれは深い深いトラウマとなって、サウザーを闇の世界に導くことになったのである。
「こんなに苦しいのならば、こんなに悲しいのならば、愛などいらぬ!」
サウザーはそう叫び、その日から悪の道を歩むことになったのだった。
心の奥底に優しさと慈しみを封印したまま・・・・
そして月日を得て出会ったケンシロウ。
一度は倒したものの、死闘の末、最後にケンシロウに敗れたサウザーは死を前にして、ようやく本来の優しさを取り戻すことができた。
たとえ血塗られた己の権力の象徴といえる陵墓といえども、それは確かにかつて慕った師匠の墓として密かな思いで作らせていた墓だった・・・最後の最後の瞬間、遂にそこは彼自身と彼の師との思い出の墓標となったのである。
「せめて・・・その胸の中で・・・」
埋葬した師匠の亡骸を抱きながら、赤子のように涙を流しながら、ついにサウザーは絶命した。
その目に優しさと慈しみの光を宿しながら・・・・
愛を知りすぎた故の愛を喪ったときの悲劇
スランドゥィルとタウリエルの会話シーンに重ね合わせたのは、まさにこのシーンである。もとより愛を知らなければ感じることのなかった”悲しみ”と”絶望”が、タウリエルと、かつてのスランドゥィルに見て取れた。
そして両者とも、その悲しみと絶望を互いに分かち合うことで、相手だけでなく自分をも許すことができたのだと。
しかしそれとは別に、愛を知り過ぎた故の絶望が人の心を容易に闇に走らせる。
だからこそスランドゥィルは、残された愛を、そして心を守るために、周りのものにあえて冷たく振る舞っていたのだろう。
共に戦っていたドワーフの一族を途中で裏切り、戦線を離脱したのもそう。
一族の王であるがゆえに、その愛の及ぼす範疇がサウザーやタウリエルとは異なるとはいえ、スランドゥィルにとっては間違いなく種族の存続こそが、愛の対象であったのかもしれない。
だから目の前で傷つき、倒れていく同胞を目の当たりにして、戦線離脱を命令したのだと。
全体の状況から考えると、このときとったスランドゥィルの行動は完全に裏切り以外の何物でもないのだが、一族を率いる男の行動しては理解できなくもないという気がする。
しかし最後は軍を率い、敵にぶつかっていったのだから、やはりそこは一軍を率いる男だけのことはある。
一度は一族からの追放を命じたタウリエルに対しても、慈しみの眼差しと優しさを見せた。
不仲だった息子レゴラスとの邂逅も果たした。
「あとは森に帰って、亡き妻の陵墓を守っていくことが余生の仕事かのう・・・」
と言いながら年老いていくには、後に七つ国を襲う大乱の影は、あまりにも濃すぎるようなきがするけども(笑)
とりあえずこの映画の最大の見どころは、スランドゥィルの「愛深きゆえに、愛を封印した男」の生きざまが終始光った点にあると、個人的には強く思うのですが、皆さんは如何でしょうか。
最後に、師の遺骸とともに果てたサウザーに向けたケンシロウの言葉を花束の代わりに・・・
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