87年発表の「Music for the Masses」からのシングルカット。
彼らを知ったのはこの曲よりもう少し前で、確か85年か86年頃だろうか、当時見てた洋楽番組で彼らのミュージックビデオを見てからだった。
今回はそのあたりの”デペッシュ・モード”的なことを詳しく述べていきたいと思う。
Check!!ジェームス・ボンドのファッションブランド
Check!!ロック&バイクファッションブランド
*本サイトの記事内に広告が含まれる場合があります
デペッシュ・モードとの出会い
タイトルや曲は完全に忘れてしまったが、その番組は欧米で注目されているミュージシャンや曲を紹介する内容だったので、恐らくシングルカットされてチャート上にあるものだったのだろう。
最初に見たバンドと曲の印象は「なんか暗いな」という感じだった。
ただ暗いといっても、曲自体はしっかりしており、多分ビデオの造りがそういう風になっていたと思う。
初めて聞いたのは「people are people」(1984年)。
当時は小学生だったので語彙も足りなく、今になって考えれば、近未来的なダークさ、という表現のほうが正しいかもしれない。
その後も彼らの曲はたびたびその番組でも紹介され、その都度「やっぱり暗いな」と印象を受けた。
今日の曲「ストレンジラブ」になったあたりは、さすがに中学2年生になって感性が大人びてきたのか、「おっ、なかなかいいじゃない」と思うようにまで変化したが・・・
当時聞き始めたアメリカのビルボードチャートでも、デペッシュ・モードの曲の多くがランクインしていたことを知り、どうやら向こうではかなりの大物らしいということぐらいは認識し始めてもいたのだ。
もっともそれからはロック中心のリスニングになっていったので、こういうタイプの音楽からは離れていったのだけれども(そして現在に至る)
彼らの歌をよく耳にした80年代後半、僕は既に中学生だったということは先に述べたのだけど、その頃から特に音楽を専門的に勉強したり、音楽系の語彙に詳しいわけではなかったので、とにかく「暗い」という言葉しか思いつかなかった。
暗いけどお洒落、それぐらいが当時の僕にとって精一杯のデペッシュ・モードに対する賛辞だったわけだ。
デペッシュ・モードの再評価
しかし先ほどウキペディアを見て、ようやくこのバンドの正当な評価・説明を見た気がした。
以下少し長いが、説明部分を抜き出してみる。
デビュー当初はニュー・ウェイヴ色が強かったが、初期メンバーのヴィンス・クラークが脱退してマーティン・L・ゴアが楽曲製作の中心になると、サウンド & アレンジ担当のアラン・ワイルダーがインダストリアルな音を取り入れ始め、徐々にオルタナティブ路線を強めていった。
マーティンのアルコール中毒、サウンドの要だったアランの脱退、デヴィッドの薬物過剰摂取による自殺未遂などの苦境を乗り越えながらも、四半世紀以上に渡るキャリアと、全世界で約9,100万枚のシングル・アルバムを売り上げた記録を持つニュー・ウェイヴのロング・ランナー。
現在も第一線で活動を続けるシンセポップの代表格であり最大級の成功者である。
その功績・業績に比して日本での知名度は低いものの、2006年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードの最優秀グループ賞を得るなど、欧米での評価と人気は健在である。
デヴィッド・ガーンの妖艶なバリトンの歌声とエネルギッシュなライヴパフォーマンス、マーティン・L・ゴアによる哲学的、宗教的、神秘的かつ官能的な歌詞と哀愁を帯びた美しくダークなメロディ、そして壮大で重厚な音空間を感じさせるアラン・ワイルダーのサウンド & アレンジが他の多くのシンセポップグループとの相違点であり最大の魅力である。
アラン・ワイルダーは1993年発表のアルバム『ソングス・オブ・フェイス・アンド・デヴォーション』を完成させた後、彼の貢献が正しく評価されていないことを理由に1995年に脱退した。
もう一人のメンバー、アンドリュー・フレッチャーは「世界的に有名な一本指奏者」と自称しており、主にキーポードとプロデュースを担当している。彼らの独特の美意識は、主にドイツや北欧、ロシアを中心としたダーク・エレクトロ勢に受け継がれている。
また、ときに性的指向が曖昧な歌詞や、1980年代に特にマーティンが好んで身に付けたボンデージ風ファッションによって形づくられたバンド・イメージから、ゴスやゲイの間でも厚い支持を受けるアーティストである。
(『デペッシュ・モード』より)
以上、ぱっと読んだだけでも、山ほどの音楽的表現を拝見することができる。
ニュー・ウェイヴ、インダストリアル、オルタナティブ、シンセポップ、ダーク・エレクトロ、ゴス、ゲイ
などなど、目にしただけで「はあ?」となる業界的横文字の羅列!(最後の2語は少し違うような気がするが)まあこれでとにかくデペッシュ・モードがいかに偉大なバンドだということが、20数年の時を経てようやく理解できたわけだ。
しかし!
そんな字面共はどうでもいい。
そんなものただのローマ字だ。
僕にとってのデペッシュ・モードのイメージは、そんな山ほどの専門家的雑誌ライター風音楽業界通気取りナポリタンでは到底説明できない、深く哀愁に満ちたもので彩られているのだ!!
それは何かというとっ!
イレイザーヘッド。
奇才デビッド・リンチ監督が5年の歳月をかけて世に送り出した、恐怖のカルト映画。
逆立った頭でこちらを凝視する主人公の青年.
これを見てはた!と膝を打ったそこのアナタ、そしてその横で首をかしげる恋人のよし子ちゃん(誰じゃ!)
この人物、誰かにそっくりだと思わないか?
デペッシュ・モードの真実(まとめ)
そう。
すでに冒頭の写真で登場した、デペッシュ・モードのメンバー、マーティン・ゴアのアップである。
過去から現在にかけて、デペッシュ・モードといえば、僕にとってはこの人であり、ミュージックビデオを見ても、バンドそのものより、彼のゴワゴワ頭の印象しか記憶に残っていない。
つまり、というか、すなわち僕にとってデペッシュ・モードといえばマーティン・ゴアであり、マーティン・ゴアといえば、イレイザーヘッドなのである。
そして必然的に次のような公式が成立するわけなのである。
デペッシュ・モード
↓
マーティン・ゴア
↓
イレイザーヘッド
↓
イレイザー・モード
ななな、なんと!デペッシュ・モードは実はイレイザー・モーダーだったのである。
マーティン卿は髪の毛を消しゴムのように操る、謎のモノクロ戦士イレイザー卿の忠実な弟子だったわけだ!!
しかし曲は今聞いても素晴らしいので、やっぱりたたのデペッシュ・モードだったわけなのでごわす。
かなりどうでもいいが、つまりは見た目が似ているということなのだということで。
イレイザー・モーダー卿に敬礼。