2006年作品。
20年ほど前に作られた前作「オーメン」のリメイクだ。
主演のダミアンがハリウッド版「リング」シリーズの子役の子だということもあって、よりリアルさが増しているように思える。
小さいながら力強くも妖しい瞳を持ったこの子役、いつかはハリウッド裏社会でリアルダミアンに成長しそうな気がして、ちょっと恐ろしいのだ。
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ストーリーは前作とほぼ同じ
悪魔の子として生まれたダミアンが、その正体を隠しながらアメリカの駐英大使の息子として周囲を恐怖に陥れ入れつつ、時の権力者の跡継ぎとしての地位を虎視眈々を狙っていく、というもの。
その野望を阻止しようとする人間が非業の死を遂げていく中、最後に生き残ったのは父親で、 ラストで息子を殺すという良心の呵責に苛まされながらも、協会で聖なる剣を振りかざすが、果たしてその結果は・・・・?
大まかなストーリーはそんなところだ。
ラストシーンの大統領に手をつながれたダミアンの不気味な笑顔が、その後の世界を暗示している。
今回あえてこの映画をブログで取り上げたのは、その内容や作品の面白さとかいうよりも、映画の背景にある宗教的思想、また今後の地球環境について思うところが多かったからだ。
それは一体何か?
悪魔の存在理由
まずダミアンという悪魔の子供が、人類を滅ぼす邪悪な存在として描かれているとことほど、人類文明が持つ病的な部分を如実に表してくれているものはない、ということ。
一体なぜダミアンは悪魔なのか?
そしてなぜ彼を邪悪な存在として、この世から抹殺しなければならないのか?
答えは簡単だろう。
それは、
人類を滅亡に追い込むからだ。
ではなぜ、人類を滅亡に追いやることが邪悪で悪魔的なことなのか?
これも答えはいたってシンプルだ。
種の絶滅に瀕するから
である。
種の保存を至上命題に置いている生物にとって、自らの種が滅びるということほど邪悪なことはない。
加えて人間は他の地球上の生物に類を見ないほど多くの「欲望」を抱えて生きており、富や権力、様々な建築物や思想など、営々と築いてきた『文明』がある。
そうした文明を崩されるということは、高度に抽象的概念が発達した人類にとって、物理的な消滅以上に恐ろしいことではないか?
そしてそれを脅かすような存在が『悪』だというのは当然だろう。
逆に考えれば、文明の繁栄の名の下に動物や植物の命を簡単に奪っていく人間の存在は、他生命体にとって「悪魔的で邪悪」であるという見方も成り立つのではないだろうか?
『地球』という存在を一個の生命体として考えてみてみると、自らの欲望の赴くままに地球環境を破壊していく人間という存在は、いわばタチの悪い病原菌であり、知能を持った性悪なダニでしかないのかもしれない。
そう考えるならば、人類にとってはダミアンは悪魔であっても、奪われ傷つけられる一方の動植物や地球にとっては、ダミアンこそ人類を抹殺してくれる「救世主」だという見方もあり得るだろう。
そしてもしこれが正しいとなると、これまで人類を律してきたあらゆる規範、宗教というものは、まったく絶対のものではないということになる・・・
かつて日本の首相が「人命は地球より重い」といったことがあった。
地球や他の生命体はこれを聞いてこう返すのではないか?
「そのとおり。そしてあなたたちの命と同じように、私たちの命も同等に重いのだ」
と。
天使としての役割
では『人類の存在』というのは、本当に地球にとって「災厄」でしかないのか?
これもまた違うと思う。
地球上に存在しているあらゆる生命は、あらゆる循環システムで動いている。
いわゆる「食物連鎖」というやつだ。
地球上のありとあらゆる生物は、食べる・食べられるといったエネルギー循環の輪の中で生きていて、そういった輪の中で己の役割を何らかの形で地球に還元していく。
たとえば、鳥が木の実を食べ、飛んでいった先で落とした糞に含まれる未消化の種によって、新しい場所で木が生える。
また一方で、自ら動けない植物は、昆虫や鳥に実を食べられることによって、自ら移動すること無しに命の輪を広げていく。
こういった『食物連鎖』の役割を、地球上のあらゆる生命体が演じているのだ。
では人間はどういった役割を地球上で果たしているのか。
少し前のレビュー記事で「狩人と犬、最後の旅」という映画を取り上げた。
【狩人と犬、最後の旅】静かに深く感動!大自然の摂理がそこにはあった!
そのときに書いた文章に、先ほどの答えが全て含まれていると思う。
少し引用してみよう。
「人間には自然界の調和を保つ義務がある」
主人公の狩人ノーマンは長年、猟を通じて生態系の調整をすることに、狩人としての本分を見出してきた。
必要以上に獲物は獲らない。
適度に野生動物を間引くことによって、強くなって数が増えすぎた動物と、その獲物になり減少していく動物とのバランスをとる。
これが狩人に与えられた仕事なのだと。
「獲物を仕留めても、哀れみは感じないよ。ただ感謝をするだけ」
哀れみは自分より下の相手に感じるもの。
人も動物も死んでいくことは皆同じ。
他の動物と同様、人間も自然の恵みに生きる輪の中の存在でしかないのだ。
そんなノーマンの目線に、私は強い共感を覚えた。
人間は他の生物に無い『高度な知能』を持っている。
それは地球の環境すら変え、時間や空間を越えた未知の領域に踏み出すことさえ可能な、いわば全能の神に等しい宝物だ。
もし神や創造主というものがいたとしたら、それらはきっと人間という存在を「地球や他の生命体を守るための守護生物」として、この世に送り出したに違いないと思う。
まさに『天使』だ。
かつてキリストは言った。
「神の国はあなたの心の中にあります」
と。
この言葉は重い。
キリストは、幻影や想像が造り上げた「神」や「仏」といった抽象的な存在よりも、人間一人一人の心の中にある「良心」というものに従いなさい、ということを説いたともいえる言葉だ。
人間には欲望があり、その欲望を具現化できる高度な知能を持つ。
欲望に負けた人間は、高度な知能を己のためのみに使い、他者をないがしろにする。
あまつさえ知能があるあまり、己の欲望に満ちた言動を「正義」の名の元に、自己正当化しようと試みる。
こういう存在を『堕天使』といい、また『悪魔』ともいう。
悪魔は常に人の心の中に存在するのだ。
同じくキリストは言った。
「神の国に至る道は遠く、険しい」
と。
欲望をコントロールし、良心の声に従って生きていくことは、狭く険しい山道を踏破することに似ているのかもしれない。
そして人間という本来『天使』の役割を担った存在は、いまや地球にとって恐るべき『悪魔』のような邪悪な存在に成りつつあるのも事実だ。
自己正当化を繰り返し、あらゆる価値観による「正義」の名の元に、地球環境を破壊し続ける。
こうなってしまった以上、母なる地球がとるべき道はただ一つ、
「人類の滅亡」
もしくは
「人類の間引き」
以外に有り得ないだろう。
そしてその引導を渡す役割を演ずるのが『悪魔の子』ダミアンなのか、津波や大地震を引き起こす冥府の王『ハデス』なのか。
もしこのまま人類が、人間中心の思想・宗教を持ち、これまでどおり地球を支配していくとすれば、近い将来、何らかの形で破滅は訪れるだろう。
だがもし自然と共生する道を選び、地球の守護天使としての役割を担っていくならば、きっと地球は人間に微笑みかけてくれるに違いない。
いずれにしても我々に残された選択肢は少なく、時間は短い。
そんな気がしてならないのだ。
追記(2020年3月)
この記事を書いて13年経つのだが、改めて読み直してみても、その気持ちは当時と変わってないことに驚く。
それどころか、書いた当時よりも、さらに生き物に対する憐れみの気持ちが増しているような気がするのだ。年を取ったせいだろうか。
社会的には当時よりも生き物に対する扱いはずいぶんマシになっていて、動物愛護条例の改正など、少しずつであるけども、人間以外の生き物に対する意識は変わってきていて、彼らを守る法令も整ってきていると思う。
もちろん身近なペット以外の、数多の動物たちの命を奪うことで成り立つ食肉(牛、豚、鶏)や、動物実験で得たデータを基に作られている薬や美容グッズなどの現状は変わらないと思うし、自分もそうした命の恩恵を受けている人間の一人として、深く考えるところはある。
まだまだ時間はかかると思うけど、少しずつでいいから、彼らとの共生の意識が、いつの日かもっと世界規模に広がればと心から願っている。
すべての人間が地球保護の天使になることを祈って・・
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