2003年に公開されたアメリカ映画です。
日本の近代化の幕開けとなる「明治維新」をイメージして作られたこの作品は、主演を人気ハリウッド俳優トム・クルーズがサムライアクションをするということのほか、渡辺謙や真田広之、小雪など、錚々たる日本の俳優とコラボするということで話題を呼びました。
映画好きの私ももちろん映画館に観に行きましたし、一度見てあまりに感動したので、2回見に行ったくらいです。
実際の歴史をイメージしただけあって、かなりリアルに日本の19世紀末の状況を描写していましたね。
ストーリーも史実に限りなく寄せていたり、古く良き日本の風景や人々の雰囲気など、それまでのハリウッドの「日本風」の描写にはない「愛情」と「敬意」を感じました。
そんな歴史ロマン大作に深く深く感動した!ということ。
今回はその魅力と感動ポイントを熱く語らせてもらいます!
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明治維新後の日本をイメージした架空のストーリー
時代設定は明治維新後の日本になります。
それまで日本を支配していた江戸の将軍家(武士の親玉)が天皇に政権を返し、その天皇を補佐する形で政府を運営したのが、かつて武士だった政治家たち。
そんな政治家のやり方に我慢がならなかった、武士の生き残りのカツモトが部下を率いて政府に戦いを挑むというのがストーリーの背景になります。
カツモトは明治政府に反旗を翻した西郷隆盛さんをイメージした架空の人物で、彼を演じるのが渡辺謙ということ。
その彼の元で武士団を率いる実戦部隊の隊長が真田広之という配役になっているんですね。
で、トム・クルーズはどうなのかというと、彼はアメリカの軍人オールグレンという役柄。
少し前にアメリカ国内を2分して争われた南北戦争を生き残ったバリバリの武人ですが、その戦いの中でインディアンの居留地を襲って無慈悲に殺戮してしまった記憶がトラウマとなり、戦後は酒浸りの日々を送っていました。
そんな彼の元に届いたオファーが「革命後の日本では軍隊の近代化を進めている。その教官になってくれないか」というもの。
大金に惹かれたオールグレンは日本にやってきて、軍隊の訓練をしますが、その途中でカツモト率いる武士の集団に襲われてしまい、囚われてしまうのです。
カツモトのもとで捕虜の生活を送る内に、なぜカツモトが政府軍に反抗しているのか、彼らが大切にしているものはなんのか、を徐々に知ることになり、次第にその思いに共感し、行動を共にするようになります。
反乱軍の親玉であるカツモトが大事にしていたもの。それは「武士道」。
言いかえれば「戦士の誇り」であり「伝統文化を大切に思う心」でもありました。
近代化の過程で多くのものを得る一方で、かつて大切にしていた「心」を失いつつあった政府の在り方に失望し、反乱軍を率いていたカツモト。
この戦いは史実の「西南戦争」をモデルにしたと言われています。
江戸幕府を倒した武士の仲間を弾圧し、その生活の困窮をも無視する明治政府の態度に反対した西郷隆盛らが起こした戦争ともいわれています。
カツモトは西郷隆盛そのものであり、西郷が明治天皇を敬愛していたように、映画の中のカツモトも作中の明治天皇を最後まで敬愛し、武士の救済を訴えていました。
そしてエンディングの政府軍との戦い。
囚われていた村の静寂な日々で心の平安を取り戻し、世話をしてくれていた女性に愛を感じ、そしてカツモトらの理想に殉じようと決めたオールグレンも戦いに参加し、そして破れます。
天皇の前に捉われの身となり、カツモトの最後を語るオールグレンの言葉に私は不覚にも涙をしてしまったことを今でも忘れません。
そして再び村に戻ったオールグレン。
愛する女性と静かに暮らすことを決めた彼の決意は美しい描写とともに、幻影的に描かれていました。
配役の絶妙さと風景描写の美しさが際立っていた
この映画を「観に行こう」と思わせてくれた最大のポイントは「世界的ハリウッドスターのトム・クルーズが主演で、その周りを固める俳優が渡辺謙、真田広之という歴戦のサムライ俳優」であることでした。
私自身が歴史好きで、中学時代に出会ったコーエーのファミコンゲーム「三国志」で歴史の面白さを体感し、そこから同じファミコンゲーム「信長の野望」で日本の歴史に目覚め、様々な歴史本を読むようになったことも歴史作品に魅かれる大きなポイントでしょう。
なかでも司馬遼太郎氏の幕末を舞台にした歴史小説は何度も読み返していて、この映画のモデルとなった明治維新前後の史実は、その流れであらかた把握していました。
そんな自分にとって、映画の中の配役である「カツモト=西郷隆盛」「オールグレン=ジュール・ブリュネ」の絶妙さはすごくしっくりきたんです。
西郷さんは武士を率いて江戸幕府を倒した立役者でした。
しかし戦後に新しく打ち立てた明治政府の方針(武士階級を全廃する)に納得がいかず、最後は武士と共に政府軍に戦いを挑んで玉砕するという流れは、まさに映画の中のカツモトそのもので、深い共感を寄せることができました。
対する主人公のオールグレン(トム・クルーズ)も幕末に実在した西洋人ジュール・ブリュネをモデルとしていて、彼は映画とは違いフランスの軍人でしたが、江戸幕府の生き残りと共に北海道に渡って新政府軍に徹底抗戦した人物でした。
トムクルーズ演じるオールグレンは、かつて本国での戦いの中で罪のないインディアンを殺してしまったことで心の傷を負っていましたが、ブリュネがそうした心境だったのかは分かりません。
ただ映画で捕虜となったオールグレンが連れてこられた村の風景の美しさ、純朴な村人との平和な毎日が、心に傷を負った人間を癒す助けになったというのは分かるような気がしました。
それくらい美しく、幻想的で、そして平和な風景でしたし、そこで流れる音楽も素晴らしく情感があり、それを見ているだけでも心の琴線を振るわせてくれるものがありました。
そんな素朴な村の生活の中で育まれていく友情と共感と愛。
そうした心のありようを表現するのに、トム・クルーズや渡辺謙、真田弘之、小雪、そのほかの子役の演出は見事にハマっていたというしかありません。
武士道を貫いたカツモトの最後に涙
反乱軍を率いるカツモトは、囚われの身になったオールグレンを村の中で自由に過ごさせます。
政府軍側の動向を知るための観察の意味もありました。
しかしその日々の生活を見て、カツモトらは次第にオーグレンに信用を寄せていくのです。
天皇に呼ばれ、東京に向かう日の前日。
カツモトはオールグレンと語り合います。
その時の言葉にグッときました。
こ「この花のように、我々は死にゆく運命にある。1つ1つの呼吸の中に・・茶の器に・・・我々が奪った者たちの命を知ること。それが戦士の生きる道なのだ」(カツモト)
「1つ1つの呼吸の中の命・・」(オーグレン)
「それが武士道だ」(カツモト)
かつて罪のないインディアンたちを襲い、無慈悲に殺戮してしまった自分たち・・・
その時の罪の思いがずっとオーグレンを苦しめ、現実から目をそらさせてきました。
しかし日本という異邦の地に来て、誰とも分からぬ相手と戦い、捕らえられ、その生活の中で取り戻した心の平安。
だけどまだその意味を、自分の中で消化しきれていませんでした。
そんなときに語り合ったカツモトの言葉で、オールグレンは何かを悟ったのかもしれません。
彼はカツモトと共に戦うことを決意し、政府軍に武士の装束で戦いを挑むのでした。
それはきっと自分が殺めてしまった先住民族への弔いと意味だったり、失われつつある美しい文化を守るための抗いの意味もあったのかもしれません。
そして何よりもカツモトとの友情や村人のへの愛がそうさせたのでしょう。
絶望的な戦いの中、カツモトは政府軍の放った銃弾により倒れます。
オールグレンに抱きかかえられながら、彼の持つ刀で自分の腹を刺すのです。
武士の古来の死の儀式でした。
そして桜の散る空を見つめてこういうのです。
「全てが・・完ぺきだった・・」
この描写だけでも感動しましたが、涙を途切れなくさせたのは、カツモトら武士団を機関銃で倒していた政府軍の振る舞いでした。
多くの兵士はもともとは武士だったでしょうし、指揮官は当然武士の出身です。
時代の流れ、そして上層部からの命令とはいえ、かつて自分たちが属していた世界であり文化の象徴「武士」を、近代兵器で無残に打倒していく様に心を痛めている描写が、指揮官の表情でよく映し出されていました。
そのすぐ隣で西欧化で日本を変えようとし、武士の存在を「古臭いもの」として倒すべきと考える政府側の人間の命令に反し、指揮官が「打ち方やめーっ!」と銃撃を中止したのです。
カツモトが自決するのを待ったこと・・・
倒れた武士たちを取り囲むように、兵士たちが土下座をした礼で見送ったということ・・・
このシーンが映画の中で最も感動した場面でした。
自分たちが新しい日本を作っていくのはよく分かる。
それに反対し、抗う武士の生き残りを倒すことは、日本の政権の安定のためには仕方がないことだとも。
一方で敵わないと分かっていながらも、武士のやり方で必死になって立ち向かってくる彼らを「近代兵器」で無慈悲に倒していく、むごさや辛さ・・
自分たちや先祖たちが長い間守り抜いてきた「文化や伝統」を自ら消し去っていくような苦痛・・・
その思いが指揮官の表情の変化に現れていて、最後に上官の命令に反してでも攻撃を止め、カツモトらに敬意を表したのです。
このシーンは何度見ても涙が出てきます。
その背景で流れる曲の「荘厳さ」も、心を揺り動かすのに十分な効果を持っていました。
明治天皇とカツモトの最後を語るオールグレンの言葉に再び涙!
その後、政府軍に捕らえられたオールグレンは、明治天皇に謁見を許されます。
そこでは軍隊の近代化を進める側近の大村が、外国との新たな条約の場を準備していた場でもありました。
オールグレンに亡きカツモトの刀を渡され、その最後を胸にかみしめた明治天皇。
劇中で描かれていませんでしたが、明治天皇が子供の頃にカツモトがその教育の一端を担っていたのかもしれません。
思いをかみしめて臣下に宣言する明治天皇の言葉は熱く、そして日本人として激しく心を揺さぶるものでした。
私の望みは日本国の統一だ
強力にして独立を誇る近代国家を確立したい
我々は鉄道や大砲や西洋の衣服は手に入れた
しかし我々が日本人たることを忘れてはならぬ
この国と・・・歴史と伝統を
最後にオールグレンに明治天皇が「カツモトの最後を教えてくれ」と訊ねます。
それに対して答えたオールグレンの言葉が胸に深く刺さりました。
「カツモトの最期ではなく、彼がどう生きてきたかをお教えいたしましょう」
カツモトは武士であることに誇りに思い、その美しさに殉じて最後を遂げたような人物でした。
まさに「最後の侍(ラストサムライ)」にふさわしい存在。
そんな彼の人生を伝えることこそが、亡きカツモトの何よりのはなむけであり、明治天皇の日本を愛する心に寄り添うものだと思い、オールグレンはそう答えたのだと思います。
どんなに発展を遂げ、どんなに豊かになろうとも、決して自分達の来た道や由来を忘れてはいけないということ。
そのことをこのシーンではっきりと胸に刻めたということが、この映画を観て最も良かったと思えることでした。
まとめ
歴史と風景と音楽と文化への深い思いが込められた「ラストサムライ」。
公開当時から今に至るまで、未だかつてこの作品を越える「自らのルーツを大切にする心」を感じた映画に出会ったことはありません。
こういう作品が日本人ではなく、アメリカ人によって作られたということが、日本人として悔しい面でもありますね。
もっとも主演がトム・クルーズという大物ハリウッド俳優だったからこそ、この映画がアメリカ本国や世界で受け入れられた大きな要因でもあるでしょうし、それがなければ日本人向けの「時代劇」で止まってしまったかもしれません。
日本人でないからこそ描ける「日本文化やその良さ」というのがあるのかもしれませんね。
未見の人はぜひご覧になってください。