1934年にワシントンD.Cで生まれたシャーリー・ホーンは、乳がんと糖尿病が元で2005年10月20日に世を去るまで、ジャズシンガーそしてピアニストとして活躍した。
マイルス・デイビスやディジー・ギレスピーらの著名なミュージシャンと共演したホーンは、その類まれなる歌とピアノの同時演奏能力を「まるで二つ頭があるようだ」と、アレンジャーのジョニー・マンデルに賞賛されるに至る。
そしてその独特の艶のある声を評して、クィンシー・ジョーンズに「まるで衣装のように、彼女の声は聞く者を誘惑するね」と言わしめた。
また力強いスィングを得意としながらも、美しいバラードソングで評価を得る一方で、マイルス・デイビスによって才能を発掘されながらも、ビートルズの勃興やポピュラーミュージックの浸透により、ホーンの人気はジャズファンやその関係者に限られた。
その後、育児のために音楽活動を限定し、ミュージシャンとして細々と活動しながらも、会社員としてワシントンD.Cで働く生活を続ける。そんなホーンに転機が訪れたのは、1992年だった。
それまで細々とトリオで音楽活動を続けていた彼女だったが、同年に発表した「ヒアーズ・トゥ・ライフ」がファンの間で高い評価を得、そのタイトルソングが彼女の代表曲となるまでになった。
その後、同アルバムでアレンジャーのジョニー・マンンデルがグラミー賞の「ベスト・インストルメンタル・アレンジメント・ボーカル」を受賞し、ホーンの人生を綴ったドキュメンタリービデオも同時期にリリースされるなど、まさに92年はホーンの黄金期となった。
また同時期にアレンジャーのマンデルは「ホーンのピアノの技術は、偉大なるジャズミュージシャンであるビル・エヴァンズにも匹敵する」と絶賛したという。
その後に発表された「You're My Thrill」を最後に、2002年、ホーンは健康上の問題を理由に音楽活動を休止する。その後、病状が小康状態を得たことで、2004年にライブアルバムを製作するが、ホーンはその出来に不満だったらしい。
そして2005年10月、ホーンは乳がんと糖尿病の悪化により、永遠の眠りについた。
享年71才。
静かなる艶声を聞きながら、一人バーボンの杯を傾ける夜。
ホーンの音楽に捧げた生涯に乾杯。