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ジャズ・ブルース

安らかな眠りを・・ユセフ・ラティーフ「スリッピン&スライディン」

2013年6月1日

渋いフルートの音色を奏でる異色のジャズフルート奏者、ユセフ・ラティーフ。

アシッド・ジャズのCDで初めて彼の曲を知った時、不思議と心が静まっていくのを感じた。

心の奥底にしまわれた古く懐かしい感覚。

何がそういう気持ちにさせるのか。

その秘密はラティーフのアイデンティティーに関わるところにあった。

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東西文化の融合を体現したユセフ

テネシーで生まれ、1925年に家族とともにミシガン州のデトロイトに移ったラティーフは、高校卒業後の18歳の時にサックス奏者としてプロのキャリアとしての一歩を踏み出す。

1949年にはディジー・ギルスピーの主催するオーケストラに招かれたが、翌50年に再びミシガンに戻り、大学で作曲とフルートを学ぶ。

このときにレティーフはイスラム教に改宗した。

その後も様々な活動を経る中、ラティーフは次第に東洋の音への傾斜を始め、インドや日本、中国の楽器をアルバムやライブでちりばめに至った。

その独特のサウンドは著名なサックス奏者ジョン・コルトレーンに多大な影響を与えたといわれ、のちに制作するフリージャズのレコーディングにもコルトレーンの東洋音楽への痕跡が見られた。

ラティーフのナンバーを聞いてると何か「郷愁」のようなものを感じて仕方がない理由はここにあったのだ。

ラティーフは自らの音楽をジャズとひとくくりに称されることを嫌っていたが、ニューエイジに傾倒していた80年代に発表した「Yusef Lateef's Little Symphony」が、ベスト・ニューエイジ・アルバムでグラミーを受賞したことを受け、「僕の音楽はジャズだよ」と、改めて自らのルーツを明らかにしている。

そのほかにも自らのレーベルを多数持ったり、書籍を出版、大学で教鞭をふるうなど、音楽制作以外にも幅広い活動を続けていた。

異文化を吸収し、表現しようとした彼の音へのあくなき追求が、音符の隅々に行き渡っているのだ。

追記

ブログのリニューアルのために記事のチェック中、彼の訃報を知った(2014年1月)。

Yusef Lateef, Innovative Jazz Saxophonist and Flutist, Dies at 93

2013年12月23日午前、家族に囲まれて、ユセフ・ラティーフは自宅で永眠。

93才だった。

様々なミュージシャンに多大な影響を与えたラティーフ。

その冥福を祈りつつ、今夜も一人、静かに杯を重ねたい。

-ジャズ・ブルース

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