1986年にリリースされ、87年にかけてカナダとニュージーランドのチャートで一位、アメリカで6位、英国で8位にまで上ったナンバー。
1982年にオーストラリアのメルボルンで結成されたスード・エコーがメジャーデビューを果たしたきっかけは、音楽番組の司会者が彼らのライブを見かけ、番組で紹介されたことだった。
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スードエコーとの出会い
南洋出身の彼らの名前が、極東に住む当時中学生だった私の耳に入るようになったのは、バンドのセカンドアルバム「Love An Adventure」に収録の「ファンキー・タウン」がビルボードヒットチャートで上位に上ったことがきっかけだ。
当時重度の洋楽ビルボードリスナーだった私は、POPベティハウスやMTVはもちろん、マイケル富岡の「MTVトップ20カウントダウン」や小林克也の「ベストヒットUSA」を猛烈チェックするだけでは飽き足らず、AMラジオで放送されたありとあらゆる洋楽チャート系番組をチェック、新聞のラジオ欄で確認して欠かさずリスニング、さらにダブルカセットラジカセでテープに録音していたものだった。
この「ファンキー・タウン」はそんなAMラジオ番組でチェックした曲の一つで、当時この曲を聞いて初めて感じたのが「カッティング・クルーの新曲か?」と思ったこと。(イギリスのバンドで、86年のDied in Your Armsが有名) なんとなく声の質が似ていたんでしょうね。
ちなみにこの「ファンキータウン」は、1979年にリップス・インクがリリースした同名タイトルソングのカバー。
原曲はかなりクラシカルナエレクトロスタイルのポップチューンで、スード・エコーのバージョンはこれをかなロックなスタイルに作り替えたよう。(私は断然ノリノリなスード・エコー版が好きだ)
スード・エコーのその後
さてそんなスード・エコーだが、当然この曲が出た後も色々とヒットを飛ばしたようで、1990年に一度解散したものの、98年に再結成、そして現在にまで至るというから、結構息の長いバンドではあるわけだ。(決してカンガルーやコアラと戯れていたわけではない)
しかしその後も~という書き方をここでしているということは、これは明らかに「ファンキー・タウン」以降の彼らの動向に当時の私の関心が向かなかったという証拠であり、このレビュー文を書くために改めて聞きなおしてみて「おお!昔と変わらんくらいにノリノリじゃねえか!」と二十数年ぶりにしてようやく評価が俄然上向きになったという次第なのである。
98年以降の彼らの活動は、主にオーストラリアをメインにしていて、アルバム制作やツアーを精力的にこなしているようだ。
若い頃のボーカルのブライアンは北欧系らしき奥目がちのソリッドな顔つきだったのだが、30年数年経つと頭部が見事なほどにせり上がっているという。
私はまだアラフォーなわけだが、あと十数年もすると、頭部にエッジが利いた、ごま塩頭に成り得る可能性も捨てきれないのだから、今のうちにしっかりスカルプをまぶしておこう。